明治には三宅家・井伊家の屋敷の用地は政府の手に移り、陸軍の中枢が三宅坂に沿って置かれた。坂道から一段高い台地になっている井伊家屋敷跡は参謀本部庁舎に転用され、戦前・戦中には「三宅坂」と言えば参謀本部の代名詞だった。なお、1941年(昭和16年)12月8日から15日にかけて、陸軍省、参謀本部、教育総監部、陸軍航空本部、陸軍航空総監部が、三宅坂一帯から市ヶ谷台の陸軍士官学校跡地に移転した。
戦後、参謀本部跡地は国会用地に転用、最終的に東半分は公園化されて国会前庭と憲政記念館に、西半分は国会の観光バス駐車場などになり、一角には国有地を借地して社会文化会館(日本社会党本部)が1964年(昭和39年)に建設された。三宅坂界隈は戦前と戦後で様相を一変させ、「三宅坂」は戦前の参謀本部から新たに国会の議席の多数を占めるようになった日本社会党、そして現在の社会民主党を指す通称として使われるようにもなった。しかし東日本大震災後は、耐震性が疑問視され、2013年春に解体。党本部は、近くのビルに移転した。跡地には「警視庁永田町庁舎」が、2016年(平成28年)6月1日に着工され、2017年(平成29年)3月31日に完成する[3]。
一方、三宅家屋敷跡の側は米軍に接収されて連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の将校が住むパレス・ハイツになった。占領が解除されてパレス・ハイツの土地が返還された後、1965年(昭和40年)から国立劇場、最高裁判所が相次いで建設された。
1997年、(旧)民主党の党本部を三宅坂交差点から国道246号を進んだ貸しビル「三宅坂ビル」に移転して以降、その流れを汲む(新)民主党→民進党→(旧)国民民主党→(新)立憲民主党の党本部として使用を続けている[4]。
バス停
都営バス:「三宅坂」停留所が、国立劇場の付近にある。
都03 四谷駅 - 麹町四丁目 - 半蔵門 - 三宅坂 - 警視庁 - 日比谷 - 銀座四丁目 - 勝どき駅 - 晴海埠頭
宿75 新宿駅西口 - 東新宿駅 - 抜弁天 - 東京女子医大 - 四谷駅 - 麹町四丁目 - 半蔵門 - 三宅坂
脚注[脚注の使い方]
出典^ a b c 「三宅坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
^ 『寛永二年図』
^ 社民党本部の跡地、なんと警視庁庁舎に! 空き地と化した「三宅坂」の今2016年6月23日、Jタウンネット
^ ただし、2020年の(新)立憲民主党の結党から2022年までは三宅坂ビルは別館としており、登記上の本部は(旧)立憲民主党の本部があった平河町の「ふじビル」に置いていた。
関連項目
陸地測量部
日本水準原点
東京特別区 (中央 - 千代田 - 新宿 - 渋谷 - 杉並 - 世田谷) - 調布 - 三鷹 - 府中 - 国立 - 日野 - 八王子
神奈川県
上野原 - 大月 - 甲州 - 笛吹 - 甲府 - 昭和 - 甲斐 - 韮崎 - 北杜
長野県
富士見 - 茅野 - 諏訪 - 下諏訪 - 岡谷 - 塩尻
主要交差点
日本橋 - 呉服橋 - 三宅坂 - 大和田町4丁目 - 八日町 - 八幡町 - 船山橋北詰 - 高出
バイパス
日野(事業中) - 八王子南(事業中) - 大月 - 勝沼 - 新山梨環状(北部区間)(事業中) - 甲府 - 竜王 - 双葉 - 韮崎 - 蔦木 - 金沢 - 坂室(事業中) - 諏訪(計画中) - 下諏訪岡谷(事業中) - 塩尻
道路名・愛称
内堀通り ・ 麹町大通り ・ 新宿通り ・ 甲州街道 ・ 信州往還 ・ 山梨ロマン街道
道の駅
甲斐大和 - はくしゅう - 信州蔦木宿 - 小坂田公園
主要構造物
日本橋 - 新宿御苑トンネル - 新宿跨線橋 - バスタ新宿 - 新笹子隧道 - 勝沼大橋 - 塩川大橋 - 穴山橋 - 新国界橋 - 坂室トンネル - 長地トンネル
自然要衝
新宿区道(新宿通り) - 東京都道305号(明治通り) - 東京都道229号 - 東京都道256号 - 山梨県道212号 - 山梨県道38号 - 山梨県道34号 - 国道411号 - 国道52号 - 山梨県道6号 - 長野県道・山梨県道17号 - 長野県道197号