三宅健
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1993年に親戚の勧めでジャニーズ事務所履歴書を送り、それから2日・3日後に社長のジャニー喜多川から直接電話を受け、SMAPのコンサートに誘われる[6]。当日は中居正広がバラードを披露した際に周りにたたずむ少年たちの役で出演し、その日のうちに私服でアイドル雑誌の撮影にも参加した[6]。またジャニーズJr.として活動し始めてからも、「YOUはビジュアルでいくから」と、最初のうちはダンスレッスンも免除された[6]。その後、森田剛とともに「剛健コンビ」と呼ばれ人気を博す[7]

1995年9月4日バレーボールワールドカップ初の公式応援団として結成された6人組アイドルグループ・V6のメンバーに選ばれ(当時16歳)、年少組3人のチーム・Coming Century(以下カミセン)としても活動を始める。11月1日MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビュー。

2000年に舞台『二万七千光年の旅 -世紀末の少年-』で単独初主演。

2003年に映画『COSMIC RESCUE』にカミセンの3人で映画初主演[8]

2005年4月からラジオで冠番組『三宅健のラヂオ』が放送開始、単独でパーソナリティを務める[9]

2006年には『親指さがし』にて、映画単独初主演[10]

2016年から3年連続で『滝沢歌舞伎』に出演[11]。共演する滝沢秀明と2018年にアイドルデュオ・『KEN☆Tackey』を結成し[11]、7月18日に「逆転ラバーズ」でデビュー[12][注釈 1]

2021年11月1日、V6が解散[13](Coming Centuryも活動終了)。それに伴いソロタレントとなる。11月2日、個人ファンクラブと個人インスタグラムを開設[14]

2022年7月25日、ミニアルバム『NEWWW』を10月5日に発売し、ソロデビューすることを発表[5]。同日にTwitter公式アカウントも開設した[15]

2023年2月20日、5月2日をもってジャニーズ事務所を退所することを発表[4]。5月2日の退所日当日は24:00になる直前までインスタライブを実施し、ファンと交流した[16]。退所後しばらくは充電期間を設け、「一からさまざまなことに挑戦していく次のステージへ向かう」ことを明かしている[17]

2023年7月2日、滝沢秀明が設立したエンターテインメント会社TOBEに合流することを発表[18]

2024年6月5日、TOBE移籍後初のアルバム『THE iDOL』を発売。

人物

2005年、V6デビュー10周年の握手会の時にろう者(手話を主言語とする耳が聞こえない)の女性から
手話で話しかけられたが何も答えられなかったのをきっかけに、手話を習い始める[19]。一時は挫折し手話から離れた時期もあったが、地域の手話講習会に申し込み、週1回2時間の講習を受けるようになり[19]、2014年4月からはEテレみんなの手話』ナビゲーターを担当[20]。またライブDVD『V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE 1995?FOREVER-』に日本語字幕をつけることを提案した[19]。その後も2016年にリオデジャネイロパラリンピックのNHKユニバーサル番組のメインパーソナリティー[21]、2018年に平昌オリンピックおよびパラリンピックのNHKユニバーサル番組のメインパーソナリティ[22]、2021年に東京オリンピックのNHKユニバーサル番組のメインパーソナリティ[23]を担当するなど、手話を生かした仕事も続けている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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