三好達治
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同じ三高から同学部に進んだ淀野隆三から梶井基次郎(文学部英文科)を紹介され、梶井と中谷孝雄外村茂の創刊した同人誌『青空』に16号から参加[8][9]百田宗治らの激賞を受ける。それから百田の同人『椎の木』に推されて丸山と共に作品寄稿し、そこで阪本越郎伊藤整と面識を持つ[6]

1927年7月、梶井基次郎が転地療養していた伊豆湯ヶ島へ赴き梶井を見舞う。そこで川端康成尾崎士郎宇野千代広津和郎、そして萩原朔太郎と知り合う。10月まで続いた湯ヶ島での作家間交流はさまざまなエピソードを生み、滞在していた作家たちや彼らの評伝など多くの著作物に書き残されることとなる。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}偶然湯本館を訪れていた広津和郎のギ・ド・モーパッサン女の一生」の翻訳に力を貸した[要出典]。

10月、朔太郎の住む東京の馬込文士村の地に下宿し、詩誌『詩と詩論』創刊に携わる[10][11]。この頃、朔太郎の妹アイに会う。達治はアイに一目惚れし求婚するが、達治は27歳で東大仏文科を卒業したばかりの貧乏書生で、文士を生活無能力者とみなしていたアイの母の大反対にあう[10]

1928年、朔太郎が『月に吠える』を再刊した版元のアルスに、朔太郎の口利きで就職をした達治はアイと婚約するが、ほどなく会社が解散したことにより職を失い、婚約も破談となる。絶望した達治は、シャルル・ボードレールの散文詩『巴里の憂鬱』全訳や、ファーブルの『昆虫記』の翻訳を始める。ここからの約10年間の翻訳は、2万枚に及んだ[10][12]

1930年、第一詩集『測量船』を刊行。叙情的な作風で人気を博す。

1932年2月、喀血する。3月24日、盟友の梶井基次郎が死去。追悼詩『友を喪う』を『文藝春秋』5月号で発表。入院を機に、フランシス・ジャムや漢詩の手法を導入する[3]。6月に退院。8月、第二詩集『南窗集』を刊行。

1934年1月、佐藤智恵子(佐藤春夫の姪)と結婚。岸田國士が媒酌人を務めた。同年12月、長男が誕生。1937年6月、長女が誕生。(詳細は#佐藤智恵子との結婚生活を参照のこと)

太平洋戦争大東亜戦争)が始まると達治は日本の勝利や日本の国家国民を賞賛称揚する「戦争詩」を複数制作し、『捷報いたる』『寒柝』『干戈永言』といった詩集にまとめて発表[13]日本文学報国会から委嘱されて「決戦の秋は来れり」の作詞も手がける。

1942年、アイが再々婚した作詞家・佐藤惣之助が死去。それに伴い、1943年に達治は智恵子と離婚。1944年より福井県三国町(現・坂井市)でアイと暮らす。しかし翌1945年2月、アイが同棲開始から10ヶ月で東京へ逃げ帰り、別離する。(詳細は#達治と萩原アイと『天上の花』を参照のこと)

1949年2月、福井三国町より東京都世田谷区へ転居。

1953年 (昭和28年)に芸術院賞(『駱駝の瘤にまたがつて』、創元社)、1963年(昭和38年)に読売文学賞(『定本三好達治全詩集』、筑摩書房)を受賞。

1964年(昭和39年)、心筋梗塞に鬱血性肺炎を併発し、田園調布中央病院分院で死去。戒名は法治院平安日達居士[14]。弟の三好龍紳が住職を務めた大阪府高槻市本澄寺に埋葬された。没後ほどなく、『三好達治全集』(全12巻、筑摩書房)の刊行が開始。

1964年、亡くなる5日前に書かれ絶筆となった詩「春の落葉」が雑誌『小説新潮』6月号で絶筆作として発表される。

1976年、十三回忌を記念し、本澄寺の境内の一角に遺族の手により三好達治記念館が建てられる。

2019年福井県ふるさと文学館の学芸員が都内の達治の親族宅を訪ねた際に絶筆「春の落葉」の直筆原稿が見つかる。2020年、福井県が譲り受け、生誕120年に合わせ同文学館で展示される[15]
評価

宇野千代は、他人から見える達治については「いつでも正気で端然としていて、節度を守っているよう」、達治の内面については「それと反対で、いつでも狂気で、節度を外し、惑溺するに任せていたのではないだろうか」とし、「その両面が、あの三好さんの高揚した詩になる」と分析した[16]

中野孝次は達治を「俗にたいするはげしい嫌悪がある」が「それでいて決して世捨て人にならず」とし、「俗の中にいながら俗に泥(なず)まず心を碧落の高みに遊ばせることができるのが文人であろうけれど、三好達治は近代の詩人中最もそういう境地に遊ぶことのできた人であった」と評した[17]


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