三内丸山遺跡
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遺構六本柱建物(復元)
六本柱建物跡

現在まで三内丸山遺跡で検出された遺構の中で最も重要視されているものである。その柱の大きさで評価されることも多いが、それとともに注目すべきは、柱穴の間隔、幅、深さがそれぞれ4.2メートル、2メートル、2メートルで全て統一されていることである。これはその当時既に測量の技術が存在していたことを示すものであり、ここに住んでいた人々が当時としては高度な技術を持っていたことを示すものである。特に4.2メートルというのは35センチメートルの倍数であり、35センチメートルの単位は他の遺跡でも確認されているので、「縄文尺」とも言うべき長さの単位が広範囲にわたって共通規格として共有されていた可能性が考えられる。さらに、これほど大規模な建造物を建てるには多くの労働力を必要としたはずであり、集落居住者の団結力と彼らを的確に指導できる指導者がいたことも推測できる[12]。また、柱本体にも腐食を防ぐため周囲を焦がすという技術が施されており、長い間腐食を防ぐことのできた一因となっている。柱は栗の木でできている。柱は2度ほど内側に傾けて立てられていた。現代の内転(うちころび)と同じ技法で一体この様な技術がどうしてあるのかは謎である。
復元建物

六本柱建物跡の復元に当たっては様々な意見が出された。建設する場所は六本柱建物のあったと推測される場所のすぐ脇に決まったものの、ただ柱が立っていただけなのではないかと言う意見や、逆に装飾具などもある非常に凝ったものだったのではないかと言う意見も出された。

考証と施工は小山修三の監修の下、大林組のプロジェクトチームが行った。結局、中間を取って屋根のない3層構造の建物になった。しかし床があるのに屋根がない、もしくは床がないのに屋根があるというのは中途半端な感が否めず、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}後々までこれでよかったのかと疑問の声が上がる要因となっている。[要出典]なお、普段はここに登ることはできない。大型竪穴建物(復元)大型竪穴建物の内部
大型竪穴建物跡

三内丸山では幅10メートル以上の大型竪穴建物跡がいくつも出土している。その中でも最大なものは長さ32メートル、幅10メートルのもので、これが復元されている。内部の見学も可能である。
竪穴建物跡

三内丸山遺跡では、一般の住民が暮らしていたと思われる竪穴建物(住居)跡も多数発掘されている。屋根に関しては茅葺き樹皮葺き、土葺きの3種類の屋根を持った建物をそれぞれ想定・復元した。これも内部見学が可能である。

茅葺き竪穴建物

樹皮葺き竪穴建物

土葺き竪穴建物
高床建物
掘立柱建物跡(高床倉庫跡)

東西約75メートル、南北約18メートルの範囲に掘立柱建物のものであると推測される柱穴群が発掘されている。この掘立柱建物の柱穴の周辺及び内側には、生活の痕跡が確認できなかったため、この掘立柱建物は高床建物であった可能性が高いと判断され、現在高床建物として復元されている。階段があり、かつては内部を見学できたが、2001年9月27日に放火事件があった影響で、現在は立ち入りはできず、外部からのみとなっている。
環状配石墓

道の跡周辺からは環状配石墓(ストーンサークル)も検出されている。この墓はムラ長の墓とも考えられている。石の並べ方が、南方のやや離れた所にある小牧野遺跡と共通しているとして注目されている。また、1999年10月6日にこの墓の一つから炭化材が出土したが、これは最古の「木棺墓」の跡であるとも言われる。
遺跡整備の方針

1998年に遺跡整備の基本計画が取りまとめられ、遺跡整備の基本方針として以下の点が掲げられた。

保存を検討しながら実物遺構を公開展示する。

建物の復元だけでなく、植生も復元する。

縄文時代を体験・体感できるような企画性に富んだ遺跡の活用をする。

見学者が憩い楽しめるような環境作りと、充実した各種サービスを提供できる場とする。

継続的な調査・研究を行い、縄文文化研究の拠点となる施設と体制を整備する。

保存・活用の計画を段階的に推進する。

縄文時遊館

遺跡の南側にある車寄せと遺跡の間に縄文時遊館が設けられており、縄文時遊館を通って遺跡に入る形となっている。縄文時遊館には遺跡の発掘品の一部が展示されているほか、土産物店、トイレなどの設備が設けられている。
「観光施設」としての遺跡と有料化縄文時遊館入口縄文時遊館庭園縄文時遊館内部

近年、三内丸山遺跡は「縄文時遊館」などの建設などで設備が整った。しかしその一方、遺跡の整備は進んだが、公園化されてしまって、遺跡としての感じが薄れてしまったという意見もある。[要出典]有料化構想が出た際は「六本柱の横に白いドームがある状態など、とても縄文のたたずまいとは言えない」として反対論が噴出したりもした[13]。見学の有料化は一時断念されたものの、2019年4月から遺跡と時遊館を「三内丸山遺跡センター」として有料化された。[14]

東北新幹線の「三内丸山高架橋」が敷地に隣接しており、2010年12月4日の開業後は車内から遺跡を見渡せるようになった。橋の設計に当たっては景観を損なわないよう配慮された[15]
年間イベント

縄文春祭り:平成26年5月3日?5月6日 三内丸山遺跡/縄文時遊館

縄文夏祭り:平成26年8月9日・10日、8月16日・17日 三内丸山遺跡/縄文時遊館

縄文秋祭り:平成26年10月25日・26日 三内丸山遺跡/縄文時遊館

縄文冬祭り:平成29年2月11日・12日 三内丸山遺跡/縄文時遊館

アクセス

東北自動車道青森ICもしくは青森自動車道青森中央ICから国道7号青森環状道路経由で青森市道都市計画道路3・4・15号里見丸山線[16]に入ってすぐ。


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