三井物産
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飛躍的な三井の発展の勢いを挫いたのがシーメンス事件である。事件の捜査が進むにつれ、金剛と三井物産をめぐる疑惑が浮上、岩原憲三・山本条太郎飯田義一の3常務を含む5名に有罪判決が下され、三井高弘は引責辞任した。事態を重く受け止めた三井物産は理事長制を導入し、初代理事長に筆頭参事だった團琢磨を任命され、三井総領家第10代当主三井高棟の権限は強化された。団と高棟は名経営コンビとされ、大正の繁栄に繋がることとなる[10]

それだけに1932年(昭和7年)3月に発生した団琢磨暗殺事件は、三井に衝撃を与えた。理事長を喪失した三井は副社長制を導入、新たに理事に迎えた三井銀行常務池田成彬の下で、三井一族を第一線から退かせ、新たに設立した三井報恩会での社会活動に従事させるなどしたが、財閥批判の世相を好転させるには至らなかった[11]

戦時下においては、臨時増徴法で倍額に引き上げられた法人税に苦しめられ、資金調達のため株式会社化を選択した三井合名を子会社の三井物産が吸収合併、資産も法人格も有さない「三井総元方」が財閥の音頭を取る体制に移行した。この一環で三井一族が旧来管理していた不動産を管理するために設立されたのが三井不動産である。しかし、中華民国山西省で軍の統制価格に従わず、実勢価格の家賃で不動産を借り上げていたことが発覚すると、「軍の作戦妨害」「現地の統制違反」などで軍や世論の強烈な批判にさらされ、総元方は解体、三井本社を設立するなどの再度の統治機構改革を行うことになり、軍部の圧力や世論の逆風も相まって戦時下での三井の営業は困難を極めた[12]

戦後になると、1947年(昭和22年)7月、財閥解体の一環として、三井物産及び三菱商事に解散命令が発され、部長職以上のものは1名まで、旧三井財閥の従業員数は100名未満、三井が保有していた建物は使用禁止などの厳しい制限を付され、200社以上もの元社員による会社が発足する。財閥の商号も禁止され、その多くが倒産や合併を余儀なくされた[13]。三井・三菱・住友により、商号護持運動が展開され、1952年昭和27年)、財閥の商号・商標使用が解禁されると[14]、三菱商事は早々に再合同を果たし、三井系においても三井物産復興の機運が高まった。旧三井物産系14社による協議の結果、「三井物産」の商号は大合同実現の暁まで14社のうち、日東倉庫建物に一時的に預けることとしたが、その直後、日東倉庫建物は突如、「三井物産」に商号を変更、翌年、有力4社のうちの1つ、室町物産と合併した。これに対し、他の有力3社第一物産、第一通商、日本機械貿易は、第一物産の名称で合同し、新・三井物産との間で対立したことで合同に遅れが生じた。1959年昭和34年)2月、三井系主要12社の介入により、旧三井物産系商社が大合同し、現在の三井物産が発足したが、三菱商事の合同からは4年遅れとなった[15]。大合同により当時として最大の総合商社の地位を取り戻すが、三井グループを挙げて投資したイラン・ジャパン石油化学(IJPC)がイラン革命およびイラン・イラク戦争により暗礁に乗り上げ、三菱商事にその座を譲る。

多くの人材を輩出しており、戦前の大日本麦酒(現・アサヒグループホールディングスサッポロホールディングス)、大正海上火災保険(現・三井住友海上火災保険)、東レなどの三井グループの中核企業には、旧三井物産出身者が設立した企業が少なくないため、「組織の三菱」「技の住友」に対し「人の三井」と言われる。
沿革

1874年明治7年)3月 - 井上馨益田孝らとともに先収会社を設立[16]

1876年(明治9年)7月 - 井上馨の政界復帰に伴い先収会社は解散し、三井組は先収会社の人員・事業を引き継いで三井物産会社を設立。初代社長は益田孝で、創立時の社員数は18名[注 1][17]

1876年(明治9年)11月 - 三井組内の商事組織である三井組国産方および三越滞貸取立方と合併[18]

1889年(明治22年)6月 - 三池炭鉱社(後の三井鉱山)と三池炭の一手販売契約締結。

1915年大正4年)- フランク・ヴァンダーリップ(Frank A. Vanderlip)やジョン・モルガンらのアメリカン・インターナショナル・コーポレーション(American International Corporation)と京杭大運河プロジェクトに合意。

1920年(大正9年)4月 - 綿花部を分離し、東洋棉花(後のトーメン、現:豊田通商)設立。

1937年昭和12年)7月 - 造船部を分離し、玉造船所(現・三井E&S)設立。

1942年(昭和17年)12月 - 船舶部を分離し、三井船舶(現・商船三井)設立。

1947年(昭和22年)

7月 - 財閥解体によりGHQから解散命令を受ける。第一物産、旧三井物産系の新会社の一つとして設立。

11月 - 旧・三井物産解散。


1949年(昭和24年)5月 - 第一物産、東証上場。

1958年(昭和33年)3月 - 第一物産、日本レミントン・ユニバック(後の日本ユニシス、現・BIPROGY)設立。

1959年(昭和34年)2月 - 第一物産を中心に旧三井物産系新会社結集、大合同成る。

1963年(昭和38年)6月 - アメリカ・モービル石油と合弁で極東石油設立。

1965年(昭和40年)6月 - 木下産商の営業譲受け。

1966年(昭和41年)8月 - ブリヂストン液化ガス(現・ENEOSグローブ)に資本参加。

1967年(昭和42年)11月 - 情報システム部門を分離しコンピューターシステムズサービス(現:三井情報)設立。


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