万葉集
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ただし、その場合には家持に代わって遺稿を完成形にして公の認知を得た"編者"が存在していたことも考えられるが、その"編者"として名前が挙がっているのは五百枝王(臣籍降下後は春原五百枝)である[10][14][11]。五百枝王は編纂への関与が指摘される市原王の子で、藤原種継暗殺事件で家持との親交から自らも連座していること、現存の記録から確認できる「万葉」の語の初期の使用者(前述)であることが理由に挙げられるが、現時点ではいずれも状況証拠に過ぎず、今後"編者"の存在の有無も含めて検討すべき要素が多い。

「万葉集」は平安中期より前の文献には登場しない。この理由については「延暦4年の事件で家持の家財が没収された。その中に家持の歌集があり、それを契機に本が世に出、やがて写本が書かれて有名になって、平安中期のころから『万葉集』が史料にみえるようになった」とする説[15] などがある。
諸本と刊本

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万葉集の諸本は大きく分けて、「古点本」「次点本」「新点本」に分類できる。この区分は鎌倉の学僧仙覚によるもので、点とは万葉集の漢字本文に附された訓のことをさす。その訓が附された時代によって、古・次・新に分類したのである。古点とは、天暦5年(951年)に梨壺の五人の附訓で、万葉歌の9割にあたる4000以上の歌が訓をつけられた。確実な古点本は現存していないが、武田祐吉小川靖彦によって桂本が古点の一部を存しているという見解が示されている。ほかに久松潜一は藍紙本も古点を伝えるとの見解を示している。古点と伝える資料としては、古今和歌六帖など、平安時代中期の歌集に引用された万葉歌がそれにあたるとの見方も山田孝雄や上田英夫らによって提示されたことがあるが、現在ではあまり有力視されていない。

ともあれ、古点とは梨壺の5人による一回的な作業の結果であるが、次点本は古点以降新点以前の広い時代の成果を指し、藤原道長、大江佐国、大江匡房、惟宗孝言、源国実、源師頼藤原基俊、藤原敦隆、藤原仲実、藤原清輔藤原長忠顕昭など、複数の人物が加点者として比定されている。この次点本に属す現存諸本としては、嘉暦伝承本、元暦校本、金澤本、類聚古集、廣瀬本などが現存しているが、いずれも零本であり、完本は伝わらない。このうち、廣瀬本は藤原定家校訂の冷泉本定家系万葉集と認められる。1993年(平成5年)に関西大学教授の木下正俊・神堀忍に発見され、所蔵者である広瀬捨三(元同大学教授)の名をとって廣瀬本と称される。ただし、廣瀬本の奥書には甲府町年寄春日昌預1751年 - 1836年、山本金右衛門)や本居宣長門弟の国学者萩原元克1749年 - 1805年)といった甲斐国の国学者たちによる校訂の痕跡を示す文言があり、賀茂真淵の『万葉考』に依拠した本文や訓の訂正も行われている。

新点本は仙覚校訂した諸本を指し、大きく寛元本系統と文永本系統に分かれる。寛元本系統の諸本は伝わらないが、上田英夫の考証によって神宮文庫本がもっとも寛元本の様態を留める本であることが確かめられている。また橋本進吉田中大士によって、紀州本の巻10までが寛元本に近い本ではないかと推測されている。西本願寺本巻1の奥書によれば、寛元本は源実朝本(鎌倉右大臣本)など数種の古写本を校合し、さらに仙覚自身の案も加えて校訂した本とみられる。

文永本に関しては、最古の完本である西本願寺本をはじめ学習院大学本、陽明文庫本など揃いの諸本が多く、特に西本願寺本がもっとも多くの歌数をとどめていることから、現在万葉集のテキストを編む場合、必ずと言っていいほど底本として利用されている。

なお、近年出現した広瀬本万葉集については、項目を別に改めて付加して概述される必要がある。
古点本

本節は特記以外は『日本古典文学大辞典』岩波書店、「万葉集」の項目(執筆者は林勉)による。
桂本

皇室御物。平安時代中期の書写と推定されており、現存する最古の写本である。巻4の3分の1ほどの109首を収める1巻のほかに、断簡(栂尾切ともいう)が66首と37首分の目録が残る。源兼行筆とされるが、ほかに紀貫之源順藤原行成源俊房とする説がある。次点の影響が少なく、古点本の面影を残している。花鳥草木を描いたきわめて美しい継色紙が使われ、紙背継目の花押から伏見天皇の御物といわれる。その後、前田利家芳春院の所有となり、子の利常桂宮家に献上した。名はこれによる。1881年明治14年)、桂宮家断絶により皇室に入った。断簡は石川武美記念図書館五島美術館出光美術館、梅沢記念館ほか諸家が所蔵している。「桂本万葉集」も参照
金砂子切

平安時代後期の書写で桂本の類である。巻13の8葉13首のみが現存する。長歌には訓がない。金砂子を散らした鳥の子紙に書かれており、この名がある。醍醐寺、石川武美記念図書館等が所蔵している。
嘉暦伝承本

1328年嘉暦3年)に増充から慶俊に相伝した識語があり、この名がある。鳥の子紙で、綴葉装である。巻11の大部分の472首が1帖に収められている。定家仮名遣いで次点期を経ているが、『拾遺集』所収の万葉歌と一致し、古点を伝えている。松坂高尾家旧蔵で、本居、松本、中山、佐佐木家から文化庁を経て、現在は国立歴史民俗博物館が所蔵している。また巻11の欠落部分の模写断簡7首が民間にある。
次点本
藍紙本.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}藍紙本万葉集藍紙本万葉集 第9巻


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