万葉集
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また、『源氏物語』でも、宇治川に身投げする浮舟匂宮の2人の男性に愛される女性)が登場している[1]
元号(令和)

明仁天皇譲位による改元で2019年4月1日午前11時41分に内閣官房長官菅義偉が記者会見を執り行って発表され、皇太子徳仁親王践祚にともなって同年5月1日から施行される元号「令和」の典拠となった。「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」の「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」から引用した[7]。これまで日本の元号の出典は漢籍であったが、初めて日本の古典からの出典となった。内閣総理大臣安倍晋三は元号発表にともなって開いた記者会見にて、新元号について「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる」という思いを込めたものであることを語った[24]

「令和」の典拠となった「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」は、天平2年(730年)の正月13日に、大宰帥大伴旅人邸の梅園に山上憶良や下僚ら約30人が集まり催された「梅花の宴」の宴席で詠まれた32首(また後日6首が唱和された)の序文である[1]。現代訳では、「…時は良き新春正月、外気は快く風は和らいで、梅は佳人の鏡台の白粉のように白く咲き、蘭は香袋のように香っている。…」という意味である[1]。花を愛で、などの花びらを杯に浮べ飲むことは、長寿祈願の習わしであったが、万葉当時の花見は、桃や梅などの中国伝来の花を見るのが一般的であったという[1]
諸点
巻頭と巻末の歌

『万葉集』は全巻で20巻であるが、その巻頭の歌が雄略天皇の歌で始まり、大伴家持の歌で締めくくられている。奈良時代の人々においても雄略天皇が特別な天皇として意識されていたことを示す。

大泊瀬稚武(おほはつせのわかたけ)天皇の御製歌(おほみうた)籠(こも)よ み籠(こ)持ち掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この岳(をか)に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家告(の)らせ 名告(の)らさね そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(を)れ しきなべて われこそ座(ま)せ われにこそは 告(の)らめ 家をも名をも(巻1・1番)篭毛與 美篭母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家告閑 名告紗根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師吉名倍手 吾己曽座 我許背齒 告目 家呼毛名雄母巻末 新(あらた)しき 年の始めの 初春の 今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)
捕鯨

万葉集には「いさな(鯨魚)」を詠んだ歌が詠われているが、いさなとは鯨魚、鯨名、勇魚、不知魚、伊佐魚とも表記していて、おもに鯨類を指す。そして「いさなとり」は、捕鯨を意味し主に海、浦、浜、灘などを表す枕詞として使われていた。

巻 二「いさな取り」 淡海の海を 沖さけて こぎくる船 辺附きて こぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 邊つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の つまの 思ふ鳥立つ

巻 三越の海の 角鹿の浜ゆ 大船の 真楫貫きおろし 「いさなとり」 海路に出でて

巻 六やすみしし わが大君の あり通ふ 難波の宮は 「いさなとり」 海片附きて 玉拾ふ 浜辺を近み 朝羽振る 波の音(と)さわき 夕なぎに 櫂の声(おと)聞ゆ あかときの 寝覚めに聞けば 海若(わたつみ)の 潮干(しおひ)のむた 浦渚(す)には 千鳥妻呼び 芦辺には 鶴(たづ)が音(ね)響(とよ)む 視る人の 語りにすれば 聞く人の 見まくり欲(ほ)りする 御食(みけ)向かふ 味原の宮は 見れども飽かぬかも

第 一六「鯨魚取り」 海や死する 山や死する 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ[注 5]

外国語との関係

1950年代には安田徳太郎が『万葉集の謎』において日本語の祖語はインド北部レプチャ語であるとし、万葉集はレプチャ語で読めると主張していた[25]

また、1980年代には「『万葉集』の言葉は古代朝鮮語と関係があり、それによって解釈できる」という意見が出され、一連の著作がベストセラーになったことがある。背景としては、日本の古代文化を朝鮮半島由来とする韓国特有の民族主義朴炳植李寧煕[注 6]など)があり、それに同調する日本人(藤村由加など)の言説が存在している。しかし、当時から一部の日本語学の研究者の手によって反論と批判[26][27]がなされており、一連の著作は「トンデモ本」と認定された[28]

こうした外国語との関係は金田一春彦も「万葉集の謎は英語でも解ける」と批判している[29]
研究史

近世には学芸文化の興隆から万葉集研究を行う国学者が現れ、契沖荷田春満賀茂真淵加藤千蔭田安宗武鹿持雅澄長瀬真幸本居宣長らが万葉集研究を展開した。

近現代には国語国文学の観点から万葉研究が行われ、斎藤茂吉折口信夫[注 7]佐佐木信綱土屋文明(以上4名は自身も歌人であり、歌人の立場から万葉論を展開した)、澤瀉久孝武田祐吉五味智英犬養孝伊藤博稲岡耕二青木生子阿蘇瑞枝橋本達雄中西進多田一臣森朝男古橋信孝、身崎壽、坂本信幸神野志隆光佐竹昭広曾倉岑内藤明梶川信行上野誠小川靖彦鴻巣隼雄、鉄野昌弘、藤井貞和品田悦一三浦佑之らにより万葉集について研究されている。


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