万葉集
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会津松平、原、中村家を経て、現在は京都国立博物館[16]が所蔵している。断簡は日本学士院、石川武美記念図書館、京都国立博物館逸翁美術館五島美術館徳川美術館、書芸文化院などが所蔵している。
元暦校本

1184年元暦元年)に校合したとの奥書がある。平安時代中期ないし後期の数筆の寄合書きである。うち、巻17、18は同筆であり、巻6は鎌倉時代初期の補写と考えられている。巻3、5、8、11、15、16を除く14巻、計2617首と2129首分の目録が現存する。そのほかに断簡(難波切ないし有栖川切ともいう)は巻3、5、8、9、13、15、16を除く13巻148首と目録201首分が残っている。すなわち15巻にわたる、全歌数の6割以上が現存している次点本では貴重な写本である。藍と紫の飛雲形文を漉込んだ鳥の子紙の(補写である巻6は飛雲形を欠く)粘葉装である。黒、緑、赤、朱の書き入れがあり、万葉集の本文校訂上最重要である。

減じて江戸時代初期には15冊に、さらに14冊になった。巻1、4、6、10、12、19の6冊の各一部を分けて有栖川宮家から高松宮家に移り、残る大部分は伊勢富山家、神戸俵屋から、天保初期に桑名松平家、1843年(天保14年)に水野忠邦1911年明治44年)に古河家に移ったあと、ともに文化財保護委員会の所蔵となった。高松宮家旧蔵の6冊、古河家旧蔵の14冊とも、現在は東京国立博物館所蔵[17]。断簡は仁和寺宮内庁侍従職東山御文庫常盤山文庫國學院大學図書館、石水博物館白鶴美術館MOA美術館などが所蔵している。荒木田久老加藤千蔭、橋本経亮、鹿持雅澄らが校訂に使用した。
金沢本金沢本万葉集巻第三・六残巻

三の丸尚蔵館所蔵[18]藤原定信筆とされるが、源俊頼藤原公任説もある。粘葉装、1帖。胡粉引きの白を主として、ほかに薄茶、浅葱、黄の色に、金銀切箔を散らし、雲母による菱唐草や亀甲などの文様を雲母刷りした唐紙を料紙とする。巻2の約5分の4の129首および150首分の目録と、巻4の約4分の1の79首をあわせ1帖とする。そのほかに巻3、4、6の24首と76首分の目録の断簡が現存する。本文と訓は元暦校本・紀州本にもっとも近い。金沢前田家旧蔵による名称。1910年明治43年)に前田家から皇室に献上された。断簡は逸翁美術館等が所蔵している。また古筆手鑑『筆林翠露』に収められている。
天治本

1124年天治元年)に書写との奥書があり、名称はこれに由来する。これは万葉集最古の書写記録であり、後述の巻2断簡は1129年大治4年)の書写。巻13の完本と巻15の58首の1巻および

巻2の6首

巻10の42首

巻14の10首

巻15の25首

の断簡(仁和寺切ともいう)が現存する。檀紙の巻子本で墨罫があり、寄合書だが巻14と巻15は同筆である。忠兼本を書写した本で、仙覚本底本系統である。福井家と賀川冠纓神社[19]の所蔵。断簡は、加藤、熊沢、角田、沢瀉、武田、岡村、池上、久曾神家および東京国立博物館、京都国立博物館、天理図書館、石川武美記念図書館、岡山美術館、五島美術館などが所蔵している。

1845年弘化2年)に伴信友が京都曼殊院所蔵の零本5巻(現存しない)を影写して『検天治万葉集』を作成して

巻2の9首

巻10の4首

巻14の10首

巻15の11首

巻17の4首

が残っている。したがって総計306首が現存する。こちらは京都大学所蔵である。
伝壬生隆祐筆本

鎌倉時代中期の書写。書写者の伝承による名称だが、確証はない。もと冊子本を巻子本にしており、巻9の前半85首を3巻にしたものと後寄りの4首の断簡が現存する。天治本と同系で、仙覚本底本系統である。四日市高尾家旧蔵で、佐佐木家を経て石川武美記念図書館が所蔵している。
尼崎本

平安時代末期の書写。雲母引斐紙の料紙で綴葉装。巻16の全1帖(1枚を欠く)101首と、巻12の61首の断簡、11首の模写が現存する。天治本系で、仙覚本底本系統であり、『類聚古集』に近い。断簡が尼崎から出たことによる名称。倉敷某家から京都大学が所蔵している。断簡は池上、亀井、反町、渡辺、酒井、沢瀉、田中、辻坂家および円照寺京都女子大学、天理図書館、石川武美記念図書館、白鶴美術館、出光美術館などが所蔵している。模写は東洋文庫が所蔵。古筆手鑑「桃花水」「心画帖」「鸞鳳帖」「筆鑑」「筆林」に所収されている。
伝冷泉為頼筆本

半紙形袋綴1冊で、巻1のほぼすべて83首を記載する。ただし目録には後の補校合がある。訓はカタカナで、長歌は本文右に、短歌は左別行に記している。江戸時代初期の冷泉為頼筆と伝えられるが、カナに古体があり室町時代の書写と考えられている。尾張久米家、阪家、佐佐木家を経て、石川武美記念図書館が所蔵している。
春日本

鎌倉時代中期の1243年寛元元年)と翌年に春日神社若宮の神官中臣祐定が書写したとの奥書があり、名称はこれによる。多くが春日若宮神官の和歌懐紙の裏側使用の断簡なので春日懐紙切ともいう。もとは袋綴。

巻5の24首と書翰2

巻6の37首と目録30首分

巻7の100首と目録217首分

巻8の54首と目録38首分

巻9の8首

巻10の15首

巻13の14首

巻14の37首

巻19の16首

巻20の77首

の合計382首と目録285首分と書翰2以上が現存する。

懐紙の和歌を鑑賞のため万葉歌を削っているので判読が困難なものが多数ある。本文の右にカタカナで訓をつけるが、仙覚以前の次点本である。前田家旧蔵だが明治初期に諸家に分散して、松岡、関戸、福井、吉永、谷村、八木家および浄照坊、國學院大學図書館、石川武美記念図書館、ハーバード大学フォッグ美術館、石川県立郷土資料館などが所蔵している。
紀州本(神田本)

全巻20巻の前半巻10までが次点本。鎌倉時代末期の寄合書きである。ただし巻7が2首を欠き、巻10で1首が重出する。鳥の子紙、元来粘葉本を綴本に改装している。訓をカタカナで漢字の右側に付すが、新点の訓が左側などに加えられている。巻10の奥書から藤原忠兼源光行→行遠系統の本と見られるが、天治本とは必ずしも合致しない。後半巻11以降は室町時代後期、1542年天文11年)以前の文永三年本系新点本による補写である。後藤家を経て公益財団法人後藤報恩会昭和美術館が所蔵している。水戸徳川家の『四点万葉』に校合し、契沖の『万葉代匠記』にも引用されている。
『類聚古集』

歌体や題材により歌を分類している。平安時代末期の書写。3834首が現存する。中山家、大谷家を経て、龍谷大学が所蔵している[20]
『古葉略類聚鈔』

これも歌体や題材により歌を分類している。1250年建長2年)の書写で、1934首が現存する。奈良興福院と石川武美記念図書館が所蔵している。
その他の断簡類
伝俊寛筆切
鎌倉時代の書写。巻1の2葉2首のみだが、本文、訓とも元暦校本に近い。竹田家の所蔵。
定家様切
鎌倉時代末期から室町時代初期の書写。巻1の1葉3首のみ。書風による名称。為頼本と同系統である。滋賀正禅庵
の所蔵。橋本経亮影写で知られる。
橋本経亮影写中臣祐春筆切
巻19の1葉3首のみ。春日本中臣祐春祐春の影写で、稲葉家の所蔵。
後京極様切
鎌倉時代の書写。巻7の4葉8首。元来は冊子本であった。訓はカタカナで本来は本文の右に付すが、のちの補筆では左に付す。系統不明ながら次点本で、紀州本や『類聚古集』に近い。後京極摂政藤原良経の書風による名称。佐佐木家を経て、石川武美記念図書館ならびにハーバード大学フォッグ美術館の所蔵。
伝解脱上人筆切
鎌倉時代初期の書写。巻9の1葉2首と巻10の1葉4首。素紙、六半形本にカタカナ傍訓で、二条院御本と関係がある。『古筆名葉集』による名称だが、書風から為家様切とも呼ばれる。佐佐木家を経て石川武美記念図書館の所蔵、および小西家の所蔵。
伝教家筆切
鎌倉時代の書写。巻3の1葉3首のみ。カタカナ傍訓で、紀州本、細井本と一致するものがある。弘誓院教家の書写との伝承による名称。加藤家を経て伊東家手鑑所収。
橋本経亮影写無名氏筆切
鎌倉時代の書写。巻10の1葉4首のみ。カタカナ傍訓で、『類聚古集』の訓に近い。冒頭の記載による名称。稲葉家の所蔵。
伝為家筆切
鎌倉時代中期の書写か。巻1の1葉3首のみ。斐楮交ぜ漉き紙を用い、傍訓をひらがなで書いている。箱書による名称。天理図書館の所蔵。
柘枝切
鎌倉時代末期から南北朝時代初期の書写。巻3の1葉2首のみ。楮紙で、元来は巻子本か。傍訓は古体のカタカナで京大本赤訓に近い。詞句による名称。佐佐木家を経て石川武美記念図書館の所蔵。
『万葉集目録』
平安時代後期の書写。巻16の1葉5行のみ。鳥の子紙に書かれる。近衛家の所蔵。元来は全巻分あったと考えられるが、残存していた2巻2葉は関東大震災で焼失し、1葉だけが残った。原本の影写本が『万葉集叢書10』所収である。
新点本

新点本ではほとんどの場合、傍訓形式で訓を本文の右側にカタカナで記している。うち文永本は古点、次点、新点のうち正しいと考えられた訓を多くの場合、色分けして右側に記している。それに対し寛元本では古点、次点を右側に、新点を左側に書いている。


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