万世一系
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1889年(明治22年)、近代国家の憲法として大日本帝国憲法が公布された。この憲法では、皇室の永続性が皇室の正統性の証拠であることを強調していた。『告文』(憲法前文)には、以下のような文章がある。…天壤無窮ノ宏謨(こうぼ)ニ循(したが)ヒ惟神(かんながら)ノ宝祚ヲ承継シ… ? 『大日本帝国憲法』告文輝かしき祖先たちの徳の力により、はるかな昔から代々絶えることなくひと筋に受け継がれてきた皇位にのぼった朕は…

そして、憲法第1条にて「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と規定されたのである。近代的な政治文書で「万世一系」のような詩的な文言がもちいられたのは、これが初めてである。「万世一系」のフレーズは公式のイデオロギーの中心となった。学校や兵舎でも、公式な告知や発表文でも、広く使われて周知されていった。
君が代詳細は「君が代」を参照

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1880年(明治13年)、日本の国歌として『君が代』が採用された。君が代は10世紀に紀友則紀貫之凡河内躬恒壬生忠岑の4人の選者により編纂された『古今和歌集』に収録されている短歌の一つである。バジル・ホール・チェンバレンはこの日本の国歌を翻訳した。日本の国歌の歌詞とチェンバレンの訳を以下に引用する[24]君が代の楽譜君が代は

千代に八千代に
さざれ石の
巌(いわお)となりて
苔(こけ)のむすまで ? 君が代チェンバレン

汝(なんじ)の治世が幸せな数千年であるように
われらが主よ、治めつづけたまえ、今は小石であるものが
時代を経て、あつまりて大いなる岩となり
神さびたその側面に苔が生(は)える日まで

A thousand years of happy life be thine!
 Live on, my Lord, till what are pebbles now,
 By age united, to great rocks shall grow,
 Whose venerable sides the moss doth line.

日本の国歌も「天皇の治世」を奉祝する歌であり[25][26]、皇統の永続性(万世一系)がテーマである[27]。世界で最も短い国歌が世界で最も長命な王朝を称えている[28]
国体の本義詳細は「国体の本義」を参照

国体の本義とは、1938年(昭和13年)、「日本とはどのような国か」を明らかにしようとするために、当時の文部省が学者たちを結集して編纂した書物である。万世一系についての主張を以下に引用する[29]。大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国の事事の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ? 国体の本義
その他の「万世一系」論

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ萬世一系ノ帝位ヲ踐ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ……(大日本帝国憲法発布の詔勅)


大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ繼承ス(
旧皇室典範第一条)


天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)。

詔勅や外交文書の冒頭では、このように「天皇」に対する修飾語として用いられることもあった。


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出典検索?: "万世一系" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2017年5月)

万世一系についての様々な説を巡り、大きな論争に発展した。
戦前の論争

1911年(明治44年)には、国定教科書問題・南北朝正閏論争があった。学校の歴史教科書で「南北朝時代」の用語を使っていた。このことをめぐって、帝国議会南北朝正閏論が問題化した。それ以降の教科書では、「吉野朝時代」の用語を使うことになった。この問題では、万世一系の概念の中で、皇統の一系(皇統が分立することがない)が問題になった。江戸時代から一般的であった南北朝時代の史観が、明治時代の万世一系では不適当とされた事例である。また、壬申の乱のような皇室での争いは、教科書に記述がなかった。
国体との関係

国体の一番の根拠は万世一系であった。それゆえに国体の問題でも深い影響を与えていた。天皇機関説論争の際には、神勅が天皇による直接統治の根拠とされた。『国体の本義』でも、神勅や万世一系が冒頭で強調されている。昭和維新を標榜した一連の変革運動でも、君民一体の思想から、天皇による直接支配こそ社会の閉塞をうちやぶるものであり、「君側の奸」がそれを妨げているという主張がなされた。この問題により、万世一系をめぐる論争は、皇室の問題と結びついて大きな広がりを持つことになる。
戦後の論争

戦後になると戦前の皇国史観への反動とマルクス史観の流行により王朝交替説が盛んに唱えられるようになった。そのうちの多くはその後否定されるに至っているが、継体天皇の出自の問題(継体天皇王族説/継体新王朝論)など現在も議論の絶えない問題もある。
戦後の歴史家

ベン=アミー・シロニーは戦後の歴史家の研究態度について「戦前の日本で天皇の王朝の非常な古さが国家主義的に悪用されたことに強く反発する戦後の歴史家は、日本における皇室制度と皇室の異例な長命さという意義を軽んじてきた。しかし、そうした彼らでも認めざるをえないのは、皇位を占めている血縁集団が世界最古の在位の君主家だということである。[30]」と指摘している。
皇位継承問題詳細は「皇位継承問題」を参照

第二次世界大戦後、敬宮愛子内親王などの皇族の女子が誕生する一方で、秋篠宮文仁親王誕生以降は悠仁親王の誕生まで約40年もの間皇族の男子が誕生せず、皇位継承権を持つ皇族の男子が不足していることを背景に、皇統の「女系天皇」を容認しようとする皇室典範に関する有識者会議などの動きがあった。万世一系の伝統から旧皇族を復帰させて男系による皇位継承を守ろうという意見、男系にこだわらない「女系天皇」容認論、さらに踏み込んでの直系長子の皇位継承を主張する意見等、政府による令和3年の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議を経ながら、皇位継承を巡って現在も論争となっている。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 島善高「万世一系の由来」『律令制から立憲制へ』,成文堂,2009。p.308には「王政復古議」(『岩倉具視関係文書』第一,p.301)には「皇家は連綿として万世一系礼学征伐朝廷より出で候」(原文カタカナ)と書かれ、「万世一系」の語の使用例が古書に見つかるか調査を玉松操に依頼している。
^ 現存している51本より。
^ 葦原中国平定の段には「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は我が御子正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国なり」とある。
^ 実際の記述は、「自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以尊為號、居筑紫城。


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