七大貴族
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彼らがサーサーン朝期に高位の人物を輩出していることは確かであり、ヤズデギルド2世の最初の宰相であったミフル・ナルセ(英語版)はスパンディアード家[注釈 4]の出身であるとされ、ホルミズド4世の時代に反乱を起こした著名な将軍バフラーム・チョービン(英語版)や、簒奪者として短期間王位を担ったシャフルバラーズはミフラーン家に属していた[11][14]。恐らく彼らは自らの家系の由緒正しさを強調するために、より古い時代に遡る系譜を作成した[11]

これらの大貴族の性質を示すのがペルシスの「王」パーパク(サーサーン朝の建国者アルダシール1世の父)の宮廷における貴族とアルダシール1世の宮廷における貴族たちの顔ぶれである。パーパクの宮廷においては数多くのペルシス土着の高貴な家系が言及されているが、彼らはアルダシール1世の時代のリストではスーレーン、カーレーン、ヴァラーズ、そしてアンディガーンといった「大貴族」によってはじき出されている[15]。これはメルヴケルマーン(カルマニア)、シースターン(サカスターン)、イベリア(グルジア)、アディアベネの王たちがサーサーン朝の最も名誉ある地位を持って言及されるようになったことと全く同じである[15]。また、これらの大貴族は広大な所領を所持していたとされ、サーサーン朝期にはカーレーンはニハーヴァンドメディア)地域に、スーレーンはシースターンに、そしてアスパーフバドはディヒスターンとゴルガーンに居住していたことが知られている。よって、大貴族たちはサーサーン朝の建国に伴って自律性を維持したままその国家機構に加わったと考えられる[15][10]。サーサーン朝後期に帝国の東西南北の方位毎に置かれた軍司令官(スパーフベド)の地位もまたこれらの家系の出身者によって占められていた(スパーフベドを参照)。
脚注
注釈^ イランの「Great Houses」を重要視し、これに深く言及する学者には例えばPourshariati[2]がいる。彼女はエンサイクロペディア・イラニカのカーレーン家(K?rin)の項目を担当しており、その説明においてこの用語を用いている[3]。日本の学者では青木健などが著書『新ゾロアスター教史』(刀水書房 2019年)等で「七大貴族」という用語を使用している。一方で、Eberhard W. Sauer『Sasanian Persia: Between Rome and the Steppes of Eurasia』(Edinburgh University Press2017)、足利惇氏『世界の歴史 9 ペルシア帝国』(講談社 1977年)や山本由美子『世界の歴史 4 オリエント世界の発展』(中央公論社 1997)などはイラン史の概説を行うにあたって特にこの用語は使用していない。
^ 5世紀のアルメニアの歴史家モウゼス・ホレナツィ(英語版)はこの3家系の起源をアルシャク朝の王室と結びつける記録を残している。彼によればアルシャク朝の王アルシャヴィル(Arshavir)の子供にスーレーン、カーレーン、アルタシェス(Artashes)、姉妹のコシェム(Koshm)がいたという[12]。このアルシャヴィルは通常、フラハート4世(プラアテス4世、在位:前40年/38年頃-紀元前2年)に同定される。そしてコシェムは「騎兵司令官(スパーフベド)」と結婚した。彼らは合意によってアルタシェスが王となり、カーレーン、スーレーン、そしてコシェム・アスパーフベドは東方の地を与えられたという[12]。Lukoninによれば、このモウゼスの記録は一連の時代錯誤と通俗的な語源説、作為的な系譜のためにほとんど史実性を見出すことはできない[12]
^ ナクシェ・ロスタムの碑文には、こうした最重要の貴族家系に加えて、20以上の貴族家系のメンバーが記載されている[12]
^ アルメニアの歴史家?azar P'arpec'iは彼をスーレーン家と結びつけている[13]。また、タバリーによれば彼はミフラーン家の出身である。

出典^ Pourshariati 2008, p. 44.
^ Pourshariati 2008.
^ Pourshariati 2017.
^ a b c d e f g h i j k l m n Shahbazi 2002, pp. 511?515.
^ ボイス 2010, p. 37.
^ ボイス 2010, p. 45.
^ ボイス 2010, p. 60.
^ ヘロドトス, 巻3§71, 松平訳 p, 331.
^ a b c Lukonin 1983, p. 703.
^ a b c d e f g h i Pourshariati 2008, p. 49.
^ a b c d e f g h Lukonin 1983, p. 704.
^ a b c d Lukonin 1983, p. 705.
^ Pourshariati 2008, p. 60.
^ Pourshariati 2008, p. 181.


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