七夕
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幼児の守護神のzh:床母を祀る風習があり、幼児を持つ家庭はこの晩に床母を祭り、紙銭の「四方金」(或「刈金」)と「床母衣」を焼く。また台南[19]鹿港[20]ではzh:做十六?[21]という成人式をこの日に行う。近年では、バレンタインデーと同様に男女がプレゼントを交換する日とされている。
時期
中国

元来は中国の節句の一つであり、太陰太陽暦7月7日である。中国暦において7月の最初の月「孟秋」であり、7日は上弦の月すなわち半月の日である。7が重なる日であるため「双七」とも呼ばれた。二十四節気では立秋前後の時期に相当する。
ブラジル

ブラジルでは、日本の年中行事に親しむイベントや「商店街七夕」の形式で、日にちに拘らず行われる。

仙台市の協力のもと当地の宮城県人会を中心として1979年から始まった「サンパウロ仙台七夕祭り」は、仙台七夕の月遅れ開催を踏襲せず、7月の週末に同市のリベルダージにて開催されている。南半球であるための風物詩として定着している。
アメリカ

仙台市の協力のもと当地の宮城県人会を中心として2009年から始まった「ロサンゼルス七夕祭り」がある[22]。時期は仙台七夕の月遅れ開催を踏襲せず、8月中旬頃に同市のリトルトーキョーにて二世週日本祭(二世ウイーク)に合わせて開催されている。
予定
新暦の七夕における月齢

2007年からの、グレゴリオ暦7月7日の月齢天の川の見やすさを記号(◎→○→△→×)で示す。天の川の輝きは淡いため、月明かりや光害の影響があると見ることが難しい。月齢は0が新月、7.5が上弦の月、15が満月、22.5が下弦の月であり、上弦や下弦の前後では天の川が見える時間は限られ、満月前後ではほとんど見えなくなる。
2007-07-07: 月齢22 ○

2008-07-07: 月齢4 ◎

2009-07-07: 月齢15 ×

2010-07-07: 月齢25 ◎

2011-07-07: 月齢6 ○

2012-07-07: 月齢18 ×

2013-07-07: 月齢29 ◎

2014-07-07: 月齢10 △

2015-07-07: 月齢21 △

2016-07-07: 月齢3 ◎

2017-07-07: 月齢13 ×

2018-07-07: 月齢24 ○

2019-07-07: 月齢5 ○

2020-07-07: 月齢16 ×

2021-07-07: 月齢27 ◎

2022-07-07: 月齢8 ○

旧暦の七夕(伝統的七夕)

日本における「旧暦」は国家機関としては現在非公式扱いではあるが、国立天文台では2001年より「新暦7月7日はたいてい梅雨のさなかでなかなか星も見られない」という理由で、天体的に本来である旧暦7月7日を「伝統的七夕」と名付け、その日を新暦に換算した具体的日付を広く報じている。ただし冒頭の理由により建前上「伝統的七夕」の日の定義は、旧暦7月7日に近い日として「二十四節気処暑(しょしょ=太陽黄経が150度になる瞬間=8月23日頃)を含む日かそれ以前で、処暑に最も近い(さく=新月)の瞬間を含む日から数えて7日目」としている[23]。この定義によれば、早くて新暦の7月31日、遅くとも8月30日までに該当する。「伝統的七夕」(旧七夕)の日付(日本標準時)は以下。
2011-08-06

2012-08-24 [注釈 3]

2013-08-13

2014-08-02

2015-08-20

2016-08-09

2017-08-28

2018-08-17

2019-08-07

2020-08-25

2021-08-14

2022-08-04

2023-08-22

2024-08-10

2025-08-29

織女星と牽牛星の伝説詳細は「牛郎織女」を参照
説話「十二支のうち丑『牽牛星』」山本芳翠

こと座の1等星ベガは、中国・日本の七夕伝説では織姫星(織女星)として知られている。織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座アルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離した。ただ年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。

古典文学としておおまかなストーリーは以上のとおりの七夕説話であるが、長い歴史の中で中国各地の民話として様々なバリエーションを生じるに至った。それらは地方劇で上演され、戯曲の題材となった。その中で有名なものに京劇などで演じられる『天河配』がある。その内容は牛飼いの牛郎(牽牛)が水浴びをしていた天女の一人である織女の衣を盗んで夫婦となるが、やがて織女は天界に帰り、牛郎は織女を追って天界に昇るものの、織女の母である西王母によって天の川の東西に引き裂かれるというものである。羽衣伝説のようなストーリーすなわち白鳥処女説話となっている。
物語

「織姫と彦星」々、天の川のそばには天の神様が住んでいました。天の神様には、一人の娘がいました。名前を織姫と言いました。織姫は機を織って、神様たちの着物を作る仕事をしていました。織姫がやがて年頃になり、天の神様は娘に、御婿さんをむかえてやろうと思いました。色々探して見つけたのが、天の川の岸で天の牛を飼っている、彦星という若者です。彦星は、とても立派な若者でした。織姫も、かがやくばかりに美しい娘です。二人は相手を一目見ただけで、好きになりました。二人は結婚して、楽しい生活を送るようになりました。でも、仲が良過ぎるのも困りもので、二人は仕事を忘れて、遊んでばかりいるようになったのです。すると、天の神様のもとへ、皆が文句を言いに来るようになりました。「織姫が機織りをしないので、皆の着物が古くてボロボロです。早く新しい着物を作って下さい」「彦星が世話をしないので、牛たちが病気になってしまいます」神様は、すっかり怒ってしまい「二人は天の川の、東と西に別れて暮らすがよい」と、言って、織姫と彦星を、別れ別れにしたのです。でも天の神様は、織姫があまりにも悲しそうにしているのを見て、こう言いました。「一年に一度だけ、七月七日の夜だけ、彦星と会ってもよろしい」それから、一年に一度会える日だけを楽しみにして、織姫は毎日、一生懸命に機を織りました。天の川の向こうの彦星も、天の牛を飼う仕事に精を出しました。そして、待ちに待った七月七日の夜、織姫は天の川を渡って、彦星の所へ会いに行きます。
星空

織女牽牛という星の名称は 春秋戦国時代の『詩経』が初出とされているが、どの星を指すかは定かではない。前漢の『史記』天官書を見るとかつての牽牛は牛宿のことであり、現在の牽牛すなわちアルタイルは河鼓(天の川の太鼓)と呼ばれる星座の一星である。七夕伝説の発展により、より説話に相応しい位置に遷されたものと思われる。

夏の大三角形が関係している。

中国や日本で使われていた太陰太陽暦では、7日の月は必ず上弦の月となるので、これを船に見立てることもあった。そして夜遅くには月が沈み、月明かりにかき消されていた天の川が現れてくる。ただし、近年の日本国内では光害の影響により、月が沈んだ後であっても天の川を見ることができる場所は限られている。

グレゴリオ暦(新暦)では、月の満ち欠けは毎年異なるため、月明かりの影響により天の川が全く見えない年も多い。
脚注[脚注の使い方]
注釈^詩経』の小雅、谷風之什の『大東』にも牽牛と織女の名が出ているが、恋愛伝説の形にはなっていない。
^ 『小説』の原典は失われているが、明代の馮應京(ひょう おうきょう)が万暦年間に著した『月令広義』にこれが引用されている(「七月令」・「牛郎織女」項 ⇒[1])。
^ 中国では前日の8月23日。朔の瞬間から起算するため、時差により日本では1日遅い。

出典^ 熟字訓
^ a b Zhao 2015, 13.
^ a b c d Brown & Brown 2006, 72.
^ a b Poon 2011, 100.
^ a b c d Melton & Baumann 2010, 912?913.


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