土佐一条氏は嫡男の兼定が継いだ。墓は光寿寺にあったが、同寺の廃寺後、墓の所在が不明となった。後に供養墓が再建されている。 『諸家伝 『諸家伝』による。
偏諱を与えた人物
津野基高 - 津野氏当主。前述の通り、謀反を起こして敗れ房基に臣従。
官歴
享禄3年(1530年) 9月9日:従五位下
享禄5年(1532年) 5月19日:右近衛中将
天文4年(1535年) 9月27日:正五位下
天文6年(1537年) 正月14日:従四位下、中将如元
天文8年(1539年) 正月25日:従四位上。8月23日:正四位下
天文9年(1540年) 12月12日:従三位、中将如元
天文10年(1541年) 3月27日:兼阿波権守。11月6日:喪父
天文18年(1549年) 4月12日:薨去
系譜
父:一条房冬
母:玉姫(伏見宮邦高親王娘)
妻:大友義鑑娘
男子:一条兼定
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}女子:安芸国虎正室[要出典]
女子:阿喜多(伊東義益正室)[要出典]
脚注^ 中村市史編纂室編『中村市史 正編』(1969年)208頁
^ 宮地啓介「仁淀川下流における土佐一条氏の動向」(市村高男編『中世土佐の世界と一条氏』(高志書院、2010年) ISBN 978-4-86215-080-6)
^ 『諸家伝』
^ 市村高男「戦国都市中村の実像と土佐一条氏」(『西南四国歴史文化論叢よど』10号、2009年)
参考文献
正宗敦夫編『諸家伝』日本古典全集刊行会、1940年
中村市史編纂室編『中村市史 正編』(1969年)
市村高男「戦国都市中村の実像と土佐一条氏」(『西南四国歴史文化論叢よど』10号、2009年)
宮地啓介「仁淀川下流における土佐一条氏の動向」(市村高男編『中世土佐の世界と一条氏』(高志書院、2010年)
表
話
編
歴
土佐一条家第4代当主(1541年 - 1549年)
宗家
実経
家経
内実
内経
経通
房経
経嗣
兼良
教房
冬良
房通
兼冬
内基
昭良
教輔
兼輝
兼香
道香
輝良
忠良
実通
忠香
実良
忠貞
実輝
実孝
実文
実昭
分家・支流
土佐家
教房
房家
房冬
房基
兼定
内政
政親 | 実基(絶家)