大変な愛猫家であり、内裏で生まれた猫のために儀式を執り行い、人間の乳母をつけたという話が『小右記』に記述されている。この猫は「命婦のおとど(おもと)」と名付けられ、叙爵されていた事が『枕草子』に記述されている。 一条天皇の系譜
系譜
16. 第59代 宇多天皇
8. 第60代 醍醐天皇
17. 藤原胤子
4. 第62代 村上天皇
18. 藤原基経
9. 藤原穏子
19. 人康親王女
2. 第64代 円融天皇
20. 藤原忠平(=24)
10. 藤原師輔(=12)
21. 源昭子
5. 藤原安子
22. 藤原経邦(=26)
11. 藤原盛子(=13)
1. 第66代 一条天皇
24. 藤原忠平(=20)
12. 藤原師輔(=10)
25. 源昭子(=21)
6. 藤原兼家
26. 藤原経邦(=22)
13. 藤原盛子(=11)
3. 藤原詮子
28. 藤原山蔭
14. 藤原中正
29. 筑前介有孝女
7. 藤原時姫
30. 橘澄清
15. 橘巌子
系図
60 醍醐天皇
61 朱雀天皇 62 村上天皇 兼明親王 源高明
広平親王 63 冷泉天皇 致平親王 為平親王 64 円融天皇 昭平親王 具平親王
65 花山天皇 67 三条天皇 66 一条天皇
〔村上源氏へ〕
敦明親王
(小一条院) 禎子内親王
(陽明門院) 68 後一条天皇 69 後朱雀天皇
70 後冷泉天皇 71 後三条天皇
母である藤原詮子は、橘氏を介して弘文天皇とその妻で飛鳥時代の天武天皇の皇女十市皇女の11世孫にあたる。天武天皇の男系皇統は途切れてしまうものの、女系の血は一条天皇を介して徳仁たる現在の皇室及び旧皇族に伝わっている また、皇后の定子、中宮の彰子、女御の尊子も弘文・十市夫妻の後裔である。[14][15]。一条天皇の乳母で長女脩子内親王の裳着において髪上げ役を務めたのも橘氏の徳子(受領藤原有国の妻)である。 在位中の里内裏の名称により「一条院」と追号された。崩御後しばらくは「大宮院」とも呼ばれていた[16]。明治以後「?院」の追号は廃止され「一条天皇」となる。
后妃・皇子女
皇后:藤原定子(977年 - 1000年:号中宮、のち皇后宮) - 関白藤原道隆長女
第一皇女:脩子内親王(996年 - 1049年) - 一品准三宮
第一皇子:敦康親王(999年 - 1018年) - 一品式部卿
第二皇女:?子内親王(1000年 - 1008年) - 東三条院養女
皇后:藤原彰子(988年 - 1074年:号中宮) - 左大臣藤原道長長女
第二皇子:敦成親王(後一条天皇)(1008年 - 1036年)
第三皇子:敦良親王(後朱雀天皇)(1009年 - 1045年)
女御:藤原義子(974年 - 1053年) - 内大臣藤原公季長女
女御:藤原元子(979年? - ?) - 右大臣藤原顕光長女、のち源頼定室
女御:藤原尊子(984年 - 1022年) - 関白藤原道兼女、のち藤原通任室
御匣殿(985年? - 1002年) - 藤原道隆四女(皇后定子の同母妹)
追号・異名