長徳・寛弘年間に日記をつけていたことが判っている[注釈 2]。長徳御記は平安末期にはすでに失われ[12]、寛弘御記は応永の頃まで伝存が知られる[13]。その後、中世の戦乱にまぎれて散失したと思われ、『北山抄』・『柱史抄』・『建武年中行事』・『體源抄』などに逸文が残るのみである[注釈 3]。
大変な愛猫家であり、内裏で生まれた猫のために儀式を執り行い、人間の乳母をつけたという話が『小右記』に記述されている。この猫は「命婦のおとど(おもと)」と名付けられ、叙爵されていた事が『枕草子』に記述されている。 一条天皇の系譜
系譜
16. 第59代 宇多天皇
8. 第60代 醍醐天皇
17. 藤原胤子
4. 第62代 村上天皇
18. 藤原基経
9. 藤原穏子
19. 人康親王女
2. 第64代 円融天皇
20. 藤原忠平(=24)
10. 藤原師輔(=12)
21. 源昭子
5. 藤原安子
22. 藤原経邦(=26)
11. 藤原盛子(=13)
1. 第66代 一条天皇
24. 藤原忠平(=20)
12. 藤原師輔(=10)
25. 源昭子
60 醍醐天皇
61 朱雀天皇 62 村上天皇 兼明親王 源高明
広平親王 63 冷泉天皇 致平親王 為平親王 64 円融天皇 昭平親王 具平親王
65 花山天皇 67 三条天皇 66 一条天皇