一条兼良
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^ 樋口健太郎「摂関家九条流における「氏寺」の継承と相論」(初出:『神戸大学史学年報』29号(2014年)・改題所収「摂関家九条流における「家門管領寺院」の継承と相論」樋口『中世王権の形成と摂関家』(吉川弘文館、2018年) ISBN 978-4-642-02948-3) 2018年、P260-261
^ 田村、2013、pp.14 - 15
^ “【戦国こぼれ話】現在は学者受難の時代?戦国時代は重要だった知識人たち!(渡邊大門)”. Yahoo!ニュース (2020年10月5日). 2020年12月22日閲覧。
^建内記』永享11年6月28日条
^ 田村航によれば、正確にはの衛G『礼記集説』に記された朱熹の注釈に基づく説であるという(田村、2013、pp.136 - 143.)。
^康富記』嘉吉3年12月8日条・『看聞日記』嘉吉3年12月13日条
^ 田村、2013、pp.16・131 - 132.
^ 田村、2013、pp.15 - 16.
^ 今谷明 『戦国の世 日本の歴史[5]』 岩波ジュニア新書、 2000年 pp.75 - 76.現代では、戦国期は応仁の乱以後とされているため、戦国期当時に「戦国の世」と表記された現存資料の初見は尚通となるが、日本史内で初めて中国戦国期に見立てたのは兼良である。
^ 三浦周行「樵談治要と文明一統記」・原勝郎「東山時代に於ける一縉紳の生活」・内藤湖南「応仁の乱に就て」・和辻哲郎『日本倫理思想史』など、表現の違いはあっても共通の兼良評がみられる。
^ a b 田村航「一条兼良の注釈の深化」(田村、2013年、第1編第1章(原論文:1995年))
^ 『公事根源』については安藤為章『年山打聞』・斎藤万古刀「公事根源の著者」、『尺素往来』については石川謙『日本教科書大系』第二巻、『花鳥余情』についは伊井春樹『源氏物語注釈史の研究 室町前期』などが、その学問的態度を非難もしくは兼良の著作と認めることに懐疑的な態度を示す。
^ a b c 田村航「『公事根源』の一条兼良作について」(田村、2013年、第2編第1章(原論文:2004年))
^ 大津有一『伊勢物語古注釈の研究』(石川国文学会、1954年)
^ 武井和人『一条兼良の書誌的研究』(桜楓社、1987年)
^ 徳満澄雄「花鳥余情のおける〈今案〉説について‐花鳥余情の成立事情‐」
^ 宮本義己『歴史をつくった人びとの健康法―生涯現役をつらぬく―』(中央労働災害防止協会、2002年、237頁)
^看聞日記』応永26年正月13日条
^ 木下聡『美濃斎藤氏 論集 戦国大名と国衆O』(岩田書院、2014年)

参考文献

武井和人『一条兼良の書誌的研究』(桜楓社、1987年)ISBN 978-4-273-02166-5

宮本義己『歴史をつくった人びとの健康法―生涯現役をつらぬく―』(中央労働災害防止協会、2002年)

田村航『一条兼良の学問と室町文化』(勉誠出版、2013年) ISBN 978-4-585-22048-0

関連項目

室町文化

日本語版ウィキソースには一条兼良著の原文があります。










藤氏長者
飛鳥時代

藤原鎌足 669

中臣意美麻呂 669-698

奈良時代

藤原不比等 698-720

藤原房前 720-737

藤原武智麻呂 737

藤原豊成 737-757

藤原仲麻呂 757-764

藤原豊成 764-766

藤原永手 766-771

藤原良継 771-777

藤原魚名 778-782

藤原田麻呂 782-783

藤原是公 783-789

平安時代

藤原継縄 789-796

藤原内麻呂 796-812

藤原園人 812-818

藤原冬嗣 818-826

藤原緒嗣 826-843

藤原良房 843-872

藤原基経 872-891

藤原良世 891-897

藤原時平 897-909

藤原忠平 909-949

藤原実頼 949-970

藤原伊尹 970-972

藤原頼忠 972-974

藤原兼通 974-977

藤原頼忠 977-986

藤原兼家 986-990

藤原道隆 990-995

藤原道兼 995

藤原道長 995-1017

藤原頼通 1017-1064

藤原教通 1064-1075

藤原師実 1075-1094

藤原師通 1094-1098

藤原忠実 1098-1121

藤原忠通 1121-1150

藤原頼長 1150-1156

藤原忠通 1156-1158

近衛基実 1158-1166

松殿基房 1166-1179

近衛基通 1179-1183

松殿師家 1183-1184

近衛基通 1184-1186

鎌倉時代

九条兼実 1186-1196

近衛基通 1196-1202

九条良経 1202-1206

近衛家実 1206-1221

九条道家 1221

近衛家実 1221-1228

九条道家 1228-1231

九条教実 1231-1235

九条道家 1235-1237

近衛兼経 1237-1242

二条良実 1242-1246

一条実経 1246-1247

近衛兼経 1247-1252

鷹司兼平 1252-1261

二条良実 1261-1265

一条実経 1265-1267

近衛基平 1267-1268

鷹司基忠 1268-1273

九条忠家 1273-1274

一条家経 1274-1275

鷹司兼平 1275-1287

二条師忠 1287-1289

近衛家基 1289-1291

九条忠教 1291-1293

近衛家基 1293-1296

鷹司兼忠 1296-1299

二条兼基 1299-1305

九条師教 1305-1308

鷹司冬平 1308-1313

近衛家平 1313-1315


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