権大納言藤原朝臣淳光宣、奉 勅、関白宜令列前関白上者、
天正十三年七月十一日 掃部頭兼大外記造酒正助教中原朝臣師廉 奉
(訓読文)権大納言(柳原)藤原朝臣淳光宣(の)る。勅(みことのり)を奉(うけたまわ)るに、関白(藤原秀吉)をして、前(さきの)関白(二条昭実)の上に列(つら)ならしむべし者(てへり)。天正十三年七月十一日 掃部頭兼大外記造酒正助教(押小路)中原朝臣師廉 奉(うけたまわ)る。
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注釈^ 天正十三年七月十一日段階では、近衛家に猶子となっており、豊臣の氏は未だ賜わらず藤原となる。
出典^ 「足守木下家文書」所載
参考文献
黒板伸夫「一座」「一座宣旨」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)
関連項目
藤原師実
藤原兼家
一上(摂政関白・太政大臣を除く最上位)