一党独裁国家ではない、議会制民主主義国家でも、複数の政党が選挙で争っているが,結果として一つの政党が圧倒的な優位を長期保持している政党制を、イタリアの政治学者ジョヴァンニ・サルトーリは一党優位制と呼ぶ[5]。日本における1955-1993年までの55年体制下の自民党政権、1932?76年の44年間政権与党であり続けたスウェーデンの社会民主労働党の例がある[5]。 一党独裁は、フランス革命における山岳派独裁を、古代ローマの独裁官個人による独裁と対比して用いられたのが始まりである[1]。ジャコバン派は、穏健派のジロンド派と急進派の山岳派に分裂したが、山岳派はジロンド派を追放し、独裁体制を築いた(ジャコバン独裁ともいう)[6]。 1917年の十月革命で政権を獲得したボリシェヴィキ(後のソビエト連邦共産党)は、カール・マルクスの主張した過渡期におけるプロレタリア独裁を根拠に他の政党を非合法化して一党制を制度化した。これをマルクス主義者のローザ・ルクセンブルクは、プロレタリア独裁とは階級の独裁であって一党一派の独裁ではない、と批判した。 一方でイタリアのファシスト党はファシズムを掲げ、議会と反対政党は存続したものの、選挙制度改正によりファシスト党が常に政権獲得できる選挙制度にした。ドイツの国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)は1933年2月末の「ドイツ国民と国家を保護するための大統領令」によるナチ党の権力掌握後、ナチス以外の政党は全て「自主解散」もしくは禁止していき、最終的には新党設立禁止法によってナチ党以外の政党の設立を禁じることで一党制を確立した[7]。日本では政党が自主解党して大政翼賛会に合流したが、政党による独裁体制は成立しなかった。これらの多くは第二次世界大戦の敗戦を契機に消滅したが、スペインのファランヘ党支配は1939年から1975年まで続いた。 第二次世界大戦の結果により社会主義陣営となった東欧諸国や、国共内戦の結果誕生した中華人民共和国では、反ファシズムの人民戦線運動を背景に人民民主主義を掲げて、形式的には複数政党制であるが、共産党が指導政党で他の政党は衛星政党である、事実上の一党独裁であるヘゲモニー政党制を採用した。 1928年から1996年、中華民国(台湾)で中国国民党が党国体制という実質的な一党独裁を行った。 1960年代、イラクとシリアでアラブ社会主義などを掲げるバース党が政権を獲得し、憲法でバース党を指導政党と規定した。 1965年、独立したシンガポールでは人民行動党が開発独裁を行った。 1990年代、ソビエト連邦の崩壊と東欧革命により、マルクス・レーニン主義を掲げた一党独裁国は減少した。 2003年のイラク戦争により、イラクのバース党は政権を追われた。 2011年以降のシリア内戦により、シリアではバース党政権と反体制派の戦闘が続いている。
歴史
主な一党独裁
現存
一党制(衛星政党のない一党独裁)
ベトナム - ベトナム共産党(唯一の合法政党)
ラオス - ラオス人民革命党(唯一の合法政党)
キューバ - キューバ共産党(唯一の合法政党)
エリトリア - 民主正義人民戦線(唯一の合法政党)
ヘゲモニー政党制(衛星政党がある一党独裁)
中華人民共和国 - 中国共産党(および人民民主主義による衛星政党)
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) - 朝鮮労働党(および人民民主主義による衛星政党)
トルクメニスタン - トルクメニスタン民主党(および衛星政党)
議会に野党の議席も存在するが弾圧されている国家
カンボジア - カンボジア人民党(複数政党制、一党独裁と呼ばれる場合あり)
ベネズエラ - ベネズエラ統一社会党(複数政党制、一党独裁と呼ばれる場合あり)
シンガポール - 人民行動党(複数政党制、一党独裁と呼ばれる場合あり)
赤道ギニア - 赤道ギニア民主党(複数政党制、一党独裁と呼ばれる場合あり)
かつての一党制国家
憲法に基づく一党制
ソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦) - ソビエト連邦共産党(ソビエト連邦の支配政党)
モンゴル(モンゴル人民共和国) - モンゴル人民革命党
ハンガリー(ハンガリー人民共和国) - ハンガリー社会主義労働者党
ルーマニア(ルーマニア社会主義共和国) - ルーマニア共産党