一党優位政党制
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日本でも1993年に政権交代が起きた[1][3]

日本では自由民主党が選挙で議席の絶対多数を占める保守一党優位政党制(55年体制)は約40年近く続いたが、1993年の衆議院総選挙で自由民主党が衆議院議席数の過半数を初めて割り込み、日本新党党首の細川護煕による非自民8党の連立政権が成立した。8党連立政権自体は短命であったものの、この連立政権成立時に55年体制は崩壊したと見なされている[4]

1993年以降の日本は、分極的多党制へ一旦は変化した。しかし、最終的にその後もほとんどの期間を自民党中心の政権が占めている(一党優位政党制が継続している)上、政党の離合集散により、この議論は複雑なものとなっている。また、サルトーリ自身は例として挙げていないが、1970年代までのスウェーデン社民党優位の政党制、1990年代までのイタリアキリスト教民主党優位の政党制を一党優位政党制に含めることが妥当であるとの有力な見解もある(ただし、典型的な一党優位政党制とは異なり、これらの国では投票率における低下などの問題はないほか、前者は北欧五党制が主体で、後者は分極的多党制が主体である)。
政権交代

一党優位政党制は一党独裁制やヘゲモニー政党制とは異なり、政権はあくまでも民主主義的かつ公正な選挙で選ばれるため、政権交代は理論上起こり得るし、実際に起こることもある。しかし政権交代を達成した野党(新与党)の政権運営はノウハウが無いため混乱しやすく、短命に終わるばかりか次の選挙ではその党が一層疑問視され、政権復帰を果たした与党による一党優位政党制がさらに強まる傾向にある。例えば日本においては、自民党から政権交代を果たした政党のほぼ全てが、次の自民党政権時代の離合集散により消滅している(後述)。
日本における事例

日本の政治55年体制の成立以降、現在まで自由民主党(自民党)による一党優位政党制に置かれているとされている。日本では「一党優位」という表現に代わって、「一強」「一強政治」「一強多弱(他弱)」などとも評される[5][6]。1993年に55年体制が崩壊した。その後、2012年の政権交代から再び自民党の一党優位政党制状態となった[7]
概要

1955年昭和30年)の自民党結党以降2023年令和5年)末までの約68年間のうち、同党が野党だったのは1993年8月9日細川内閣成立から1994年6月30日自社さ連立政権成立までの326日間(非自民・非共産連立政権)及び2009年9月16日鳩山由紀夫内閣成立から2012年12月26日野田内閣 (第3次改造)退陣までの1198日間(民主党政権)の合計1524日で、これは4年強に過ぎず、68年間のうちの64年、約94%の期間を自民党政権が占めている。

さらに自民党は自由党日本民主党とが合併して成立した時点から与党であり(自民党成立前後も首相は鳩山一郎で変わっていない)、前身の政党を含めると1948年(昭和23年)の第2次吉田内閣以降、75年間のうち71年間を自民党並びにその前身政党による政権が担い、また1948年から1993年まで45年連続で政権を担ったこととなる。

自民党として初めて衆議院選挙に臨んだ1958年の第28回衆議院議員総選挙から2021年の第49回衆議院議員総選挙まで、これまで自民党は22回の衆議院選挙を戦っているが、22回の選挙のうち自民党が政権を失った選挙は上記の2回のみ(勝率約91%)で、うち1回、細川政権成立時には第1党の座にとどまっていたことを考えれば、22回の選挙のうち21回、約95%の選挙において最大議席を獲得したことになる。また、22回の選挙のうち14回の選挙で単独過半数を上回る議席を獲得している。

55年体制下の社会党に顕著に見られたように、野党が野党であることに安住し、勢力拡大のための候補者増や政策転換に消極的になるという傾向もあった。事実、社会党は中選挙区制時代に単独過半数になり得る候補者を擁立したことがほとんどなかった他[8]、小選挙区制導入後も、例えば民主党が政権を失ってから最初に行われた2014年の衆議院選挙においても、民主党の候補者数は過半数に満たなかった[8]。全員が当選したとしても過半数に満たない立候補者数では、数の論理から言っても政権交代は当然に不可能である。

日本大百科全書』では、自民党政権の一党優位政党制を、「世界的にもまれな長期の一党優位政党制」と評している[9]
中選挙区制時代「中選挙区制」、「55年体制」、および「万年野党」も参照

自民党は1955年から1993年までの38年間を、連続して政権を担っていた。

自民党内の首相交代、派閥間の政権移譲(特に中選挙区制時代)を「疑似的な政権交代」と見る意見もある[6]。一方で伊東正義は「党首の代替わりに過ぎず、政権移動ではない」とする。

また、55年体制に関して社会党との二大政党制を唱える説もあるが、結果的に1993年までの38年間、社会党が与党となったことはなかった。これをもって「1と2分の1政党制」ともいう[8]
小選挙区制時代「小選挙区制」も参照


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