一代貴族
[Wikipedia|▼Menu]
この宣言通り、5週間後にヒューム伯は一代貴族法案を貴族院に提出した[11]。委員会で修正案の形で論じられたが[注釈 1]、結局政府の原案通り可決された。その後庶民院に送付されたが、バーナード・クリックによれば庶民院の議論は「活気のない、思慮のない」ものであったという[12]。しかし法案は庶民院も通過し、1958年4月30日にエリザベス女王の裁可を得て一代貴族法は成立した。その内容は以下のとおりである[13]

貴族院に出席しかつ評決に加わる権利を伴う一代貴族創設のための措置に伴う法律[注釈 2]第一条 (貴族院に出席しかつ評決に加わる権利を伴う一代貴族創設のための権限)1項 常任上訴裁判官任命に関する国王陛下の権限を毀損することなしに、国王陛下は勅許状により本条第2項に掲げる資格を伴う一代限りの貴族の身分を何人にも授与することができる。2項 本条に基づいて貴族の身分を取得する者は その者の生存中に限り (a)勅許状によって任命される形式の男爵の爵位、および(b)貴族院に登院すべき招集状を受け貴族院に出席しかつ評決に加わる資格を得、その者の死亡と共に当該身分を喪失するものとする。3項 女性も本条に基づいて一代貴族の身分を取得できる[注釈 3]。4項 本条に基づいて取得した貴族院に登院すべき招集状を受け貴族院に出席しかつ評決に加わる権利は、その取得者が法によって無資格者となった時は直ちに失われるものとする。第2条(略称)本法は1958年一代貴族法[注釈 4]として引用される。

法律の中にある「法により無資格者となる」ケースとしては、大逆罪などの重罪で貴族院から有罪判決を受け、死刑、終身刑、懲役、2か月以上の禁固に処せられた場合、貴族院が議員資格をはく奪する決定をした場合、英国籍を失った時、破産した時、議会宣誓を拒否した場合がある[2]

一代貴族の任命は首相の助言に基づく女王(国王)の勅許状によって行われ、首相は推挙にあたっては事前に名誉精査委員会(Honours Scrutiny Committee)の議を経て、他党リーダーにも候補者の推薦を求めるという形で運用が始まった[2]
現在の運用

1958年一代貴族法による一代貴族任命数[14]首相政党期間任命数1年平均
マクミラン保守党1957?196346人9.2*
ダグラス=ヒューム保守党1963?196416人16.0
ウィルソン労働党1964?1970122人20.3**
ヒース保守党1970?197458人14.5
ウィルソン労働党1974?197680人40.0**
キャラハン労働党1976?197958人19.3
サッチャー保守党1979?1990201人18.2
メージャー保守党1990?1997160人20.1
ブレア労働党1997?2007357人35.7
ブラウン労働党2007?201034人11.3
キャメロン保守党2010?2016243人40.5
メイ保守党2016?201943人14.3
ジョンソン保守党2019?202287人29.0
トラス保守党202230人30.0
スナク保守党2022-11人11.0
合計1,546人23.6
* マクミランは法律制定後の5年間で計算
**ウィルソンの合計平均は25.4人である

世襲貴族に付与された一代貴族(1999年以降)は数に含まれない

一代貴族は、首相の助言に基づく国王の勅許状によって叙爵される。首相による人選は首相独自の判断による場合もあれば、政府から独立した貴族院任命委員会(英語版)の推薦に基づく場合もある[15][16]。叙爵されるのは主に政界・官界・軍・司法界などで活躍した者であり、男女問わないが[15]、叙爵に明確な基準があるわけではないため、首相の裁量権が大きくなりがちである[17]。2014年現在のところ確立されている首相裁量権を制限する習律としては「政党政治的叙爵に際して首相は自らが所属する政党だけではなく、他の党の人間も叙爵しなければならない」ことと「クロスベンチャー議員(中立派議員。各分野の専門家が多い)の叙爵は首相の直接指名ではなく貴族院任命委員会の指名に依らなければならない」ことの2つがある[16]。貴族院任命委員会は2000年に設立され、求人のような透明・厳格な過程でもって指名を公募し、また政党政治的指名に際してもその人物の「適格性」を評価する機能を持つ(ただしこの「適格性」評価はその人物が立派な人間であることを保証するためのものであり、議員資格に照らした適格性や任命数の統制などはこの機関では検討しない)[18]

一代貴族の授爵は首相退任時(退任する首相が次の首相に叙爵候補リストを残す)と総選挙時(引退を表明した庶民院議員たちを叙する)に行われることが多い。2010年の政権交代時には退任するブラウン労働党政権が通例を大きく超える32名の叙爵リスト(多くは労働党系。後任のキャメロンはうち29名の叙爵を女王に助言した)を残したため、「前回総選挙で各党が獲得した得票率を反映させる」ことを連立政権プログラムに掲げるキャメロン保守党・自民党連立政権としてはバランスをとるため、与党系も大量に叙爵せざるをえなくなり、結果キャメロンの首相就任から1年以内に117人も一代貴族に叙され、2011年4月には一代貴族総数が792人に達した。現行制度だとこうした首相の「授爵合戦」が行われた場合に一代貴族が急増することが懸念されており、首相の裁量権を抑制する改革の必要性も唱えられている[17][19]

1985年以降は世襲貴族は王族を除いてまったく創設されておらず、臣民が叙されるのは事実上一代貴族のみとなっている[注釈 5]1999年にはトニー・ブレア政権によって貴族院法が制定され、世襲貴族の議席が92議席に限定されたため、貴族院議員の大多数は一代貴族になっている。これにより貴族院は「もっぱら先祖の活躍と地位のみに基づく」世襲貴族中心の議院から本人の実績や経験に基づく一代貴族が中心の議院へと転換された[20]

一代貴族の爵位名(Baron ×××の部分)は、近代の世襲貴族の多くもそうだが、名字をそのまま爵位名とすることが多い。このためLordの敬称の後に名字がきているように見えるが、Lordの後につくのは爵位名である。

同じ名字の一代貴族が既に存在する場合、ミドルネームを含めた爵位名にするか、地名に付けることにより区別する。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1957年12月の委員会では次のような修正案が出されたが、どれも否決か撤回された[12]
一代貴族は男性に限る(30対134で否決)

新しく貴族となる者には世襲または一代いずれかの選択肢を与える(撤回)

一代貴族には議員報酬を与える(撤回)

現在の世襲貴族が一代貴族に転じる道を開く(25対75で否決)

一代貴族が一代貴族の身分を放棄して庶民院議員になることを認める(22対105で否決)

現に庶民院議員である者の世襲貴族の爵位継承は議会の次の解散の日から効力を発揮するものとする(撤回)

^ An Act to make provision for the creation of life peerages carrying the right to sit and vote in the House of Lords.
^ 女性が貴族院議員になれるようになったのはこれが初めてだったため、特に強調している[13]
^ Life Peerages Act 1958
^ なお、1965年以降に作られたのは1984年のストックトン伯爵のみ。また2017年の初代スノードン伯爵死去により当代が初代として世襲貴族となった人物は王族男子のみとなった。

出典^ a b 前田英昭 1976, p. 5.
^ a b c 前田英昭 1976, p. 4.
^ 前田英昭 1976, p. 5-6.
^ 前田英昭 1976, p. 6.


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef