一〇〇式機関短銃
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その後、「改修三型甲機関短銃」・「改修三型乙機関短銃」を経て、二脚、伸縮式管状着剣装置、タンジェントサイトの付加などの小改良が施され、昭和16年(1941年)に「一〇〇式機関短銃」として準制式採用された。改修三型には消炎制退器は付いていなかった。

一〇〇式機関短銃は照準安定のための二脚、最大1500mの遠距離まで狙える照尺、銃剣の着剣装置など、原型となったドイツ製短機関銃とは異なる設計思想に基いていた。これらは騎兵校の要望を採り入れた結果であり、挺身兵(落下傘部隊)の火器としても有用なものだった。銃剣には三十年式銃剣か、後に二式銃剣二式小銃用に三十年式銃剣の刀身を短縮した銃剣)を装備した。また、銃床左側面のD型の金具を90度回転させることにより、銃身機関部と銃床とを簡単に分解する事ができた。分解した銃身機関部と銃床はまとめると70cmほどとコンパクトになり、空挺降下の際に銃袋に詰めて携行した。

また、チェコスロバキアのZK-383がほぼ同様な構成をとっていたほか、MP34やイギリスのランチェスター、スイスのSIG MKMSとイタリアのベレッタ Modello 1938Aの戦前の生産型、ハンガリーの39Mおよび43Mも着剣装置を備えていた[6]

分隊長に短機関銃を装備させて歩兵分隊の近接格闘戦時の白兵力の向上に資するという用法は、当時はドイツ及びフィンランドのみで採用されていたもので、米英はドイツの用法に触れるまで軍用銃としての短機関銃は乗車兵員や航空兵の自衛火器程度にしか考えていなかった。ソ連もまた開戦後に兵士の訓練時間短縮に窮したことから射撃訓練の簡単な短機関銃を多用しており、第二次大戦当時は各国で短機関銃の用法は異なっていた。なお、意図された設計であるかは不明であるが、九六式軽機関銃九九式軽機関銃着剣装置においては、機関銃への銃剣装着は連射時の銃口の安定を図るバランサーの役割を期待されたとみる研究者もおり、2000年代初頭に同説を採る須川薫雄ら米国在住の研究グループが行った一〇〇式機関短銃の射撃実験でも、三十年式銃剣の着剣状態にて良好な射撃成績を収めている[7]

本銃にセレクターは無く、フルオート射撃のみであり、バースト射撃は指切りで行う。銃腔にはクロムメッキ加工が施されていた。弾倉は1銃につき8個を、4個入り弾倉帯2つで携帯する[8]。その他の雑嚢も流用された。弾倉重量は空で240g、30発装填で540gである。

作動方式は、バッファーにコイルスプリングを採用し、オープンボルト、シンプルブローバック方式である。銃身や銃身被筒は固定式で動かない。

前期型の生産が中央工業でわずかに行われた他は、後期型の生産が名古屋造兵廠鳥居松製造所で昭和19年5月から毎月1,000挺のペースで行われた。総生産数は約10,000挺。その内のほとんどの約9,000挺を後期型が占める[9]

負革(スリング)は、幅約2.8cm、長さ最短約58cm、最大約102cm。大別して前期型、後期型が存在し、前期型は、牛革製(茶褐色の防水塗装)であり、銀色ニッケル鍍金が施された茄子環で本体と接続する。尾錠も銀色ニッケル鍍金が施され、長さを素早く調整できる機構で爪はない。革の端部は、茶褐色のスナップボタンで固定(茄子環は外せない)されていた。末期型は、帆布(キャンバス)製であり、機関銃負革に見られる黒染め茄子環が流用され、端部は、糸止めとなっていた。
派生型着剣し、二脚を開いた状態の改修三型

一〇〇式機関短銃は数種類ある。大きく前期型と後期型に分類される。下記では改修三型は一〇〇式に含まれない物として記述する。制式化前の改修三型を、一〇〇式の初期型もしくは前期型として扱う分類もある。

一〇〇式の後期型は「一〇〇式改機関短銃」または「一〇〇式機関短銃改」と呼ばれることもあるが正式名称ではない。

試製三型機関短銃(原型)

改修三型甲機関短銃(初期型)

改修三型乙機関短銃(初期型)

一〇〇式機関短銃(前期型)

一〇〇式機関短銃特型(落下傘部隊用折り畳み銃床型)

一〇〇式機関短銃(後期型)

昭和17年(1942年)に生産された前期型は、銃床がワンピース型であった。銃身下に伸縮機能を省いた固定式の管状着剣装置が付いていた。銃口に大型の脱着式消炎制退器が付いていた。前期型の消炎制退器は左右上方に溝があり、銃口の跳ね上がりを抑えていた。改修三型に付いていた二脚はなくなった。トリガーガード前方の前床下部に安全装置が付いていた。左側面トリガー上方の金具を90度回して銃身機関部と銃床を上下に分解することができた。以後の生産型も分解機能を持つ。

同年に海軍落下傘部隊用として、前期型から改造された一〇〇式機関短銃特型は、銃床の右側面グリップ基部に蝶番を付け、落下時に邪魔にならないように、グリップごとストックを右側面に折りたたむことができた。銃床の左側面には、ネジで固定する、前床と銃床の連結用金具があった。この構造は試製一式小銃(テラ銃)と同じであった。しかし実際には強度に問題があったと思われる。

昭和19年(1944年)より生産された後期型は、緩速機構(レートリデューサー)を省略し、管状着剣装置を廃止し、1500mタンジェントサイトを廃止し、照準装置(ピープサイト100m固定、その上のV型サイト200m固定の2段階式に変更)など各部を簡略化、消炎制退器は固定式になった。後期型の消炎制退器は左側上方が溝ではなく穴になり、右側上方のみ溝であった。これは銃口が右にぶれる現象を改善した物であった。着剣ラグ(突起)が直接、銃身被筒に付けられ、銃身先端を二式銃剣の銃身通し穴に挿すように変更された。銃床は前期型よりやや短くなり、上下二分割型であった。弾倉止めや安全装置の使い勝手が改善された。一〇〇式の前期型と後期型では弾倉の互換性が無かった。製造方法の一部に電気溶接加工を取り入れた。これらにより発射速度と生産効率が向上した。後期型の最初と最期では、仕上がりが全く違っていた(末期には床尾板が木製になるなど悪くなる方向に)。しかし本銃の製造は基本的に機械切削加工によるので簡略化は根本的な生産性向上にはならなかった。
長所・短所ホノルル陸軍博物館に収蔵・展示された後期型

長所

装弾数が30発と比較的多い

ストックを右側面に折りたたむことができた(落下傘部隊用のみ)

後期型は発射速度緩速機構も簡略化、これにより発射速度が二倍になった

弾倉が横についているため、地面に伏せて射撃(伏せ射ち)ができた

銃本体自体の重量は各国のサブマシンガンより軽い

分解結合が容易

短所

弾倉が横のため、射撃時にバランスが悪かった

ストックが折りたたみ式のため、強度が低下(落下傘部隊用のみ)

着剣装置、二脚装備による重量の加算

切削加工と木製銃床のため、製造に時間がかかり、高価で、大量生産に不向き(第二次世界大戦中、各国では加工に手間のかかる木製銃床を省き、プレス加工の採用により、安価かつ短期間で大量生産を図った)

設計上の問題ではないものの、戦争末期には製造上の品質が落ち、支給された弾倉が銃に付けられないケースもあった 

前期型と後期型では弾倉の設計が異なるために互換性がなく、配備先で混乱が生じた事例があった

その後

日本陸軍期待の一〇〇式機関短銃であったが、前線で使用されることは少なかった。原因として製作した本銃が前線に届かなかったこと(南方に輸送中、輸送船などが撃沈されるなど)、さらに資源の不足などが重なったためである。特に弾薬の生産には困難があり、小銃弾や機銃弾ですでに不足しているところに大量の拳銃弾の増産を行うことは不可能であった。そのため一部の砲兵・騎兵将校の自衛用火器、もしくは挺進部隊用として使用されるにとどまった。しかし一〇〇式機関短銃が華々しく活躍した場面もあった。

1942年2月のパレンバン空挺作戦において第1挺進団が一〇〇式機関短銃を使用したとされていたが、これは間違いである。この時には空挺隊員は小銃や機関短銃を携行せず、三八式騎銃を物料箱で別に投下した[10]

1942年後半にはソロモン諸島の部隊へ少数の一〇〇式機関短銃が試験配備された。その後ガダルカナル島にも輸送されているが、極めて少数が到着した他は全て輸送中に失われている。また、ガダルカナル島で本銃を連合軍が鹵獲している。

ビルマの戦いの後期(1944年頃)には日本軍の増援部隊が装備していた少数の改修三型機関短銃(二脚とタンジェントサイトを備えたもの)が英軍によって鹵獲されている。[11]

1944年12月、第2挺進団(秘匿名「高千穂部隊」)が「テ号作戦」において使用している。

1945年の沖縄戦の「義号作戦」では、一〇〇式機関短銃を携帯した義烈空挺隊は米軍占領下の読谷飛行場に強行着陸しアメリカ軍に損害を与えている。

そのほかにも僅かな数ではあるがニューギニアやフィリピンなど太平洋諸島の地上部隊に本銃が実戦配備され連合軍が少数を捕獲している。(ニューギニアの歩兵第54連隊には中隊あたり3丁が配備されたなどの例もある)[11]

終戦時に内地の歩兵連隊や特攻部隊に少数の本銃が配備されていた。

終戦後に一〇〇式機関短銃はほとんどが廃棄処分され、現在では、あまり現存していないといわれている。
登場作品
映画
K-20 怪人二十面相・伝
軍憲(作中の警察兵士が使用。
漫画・アニメ
『WHO FIGHTER』

クライング フリーマン

クラユカバ
塚原重義監督の長編アニメーション。ソコレ四六三の隊員が使用。
戦場まんがシリーズ
同シリーズ続編および「ザ・コクピット」作品群(「CASE HARD」など)に登場する。
ドールズフロントライン

端ノ向フ
塚原重義監督の自主制作アニメ。国防軍憲兵隊が使用。指切り射撃で敵の持った拳銃を狙撃し撃ち落とす場面がある。
小説
『鬼吹燈』

紺碧の艦隊

旭日の艦隊

『パラレルワールド大戦争』
豊田有恒のSF小説。「百式短機関銃」の名称で登場し、1945年と現代を繋ぐ形で松代大本営に生じたタイムトンネルを警備する第12方面軍の伍長が装備していた。
レッドサン ブラッククロス
日本陸軍の装備として改良型が登場。藤田中尉がドイツ兵に対して使用する。敵の塹壕に突入した際は、棍棒のように振り回して白兵戦にも使用した。


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