ヴォーグ_(雑誌)
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巻頭エッセイは吉本ばなな[2]

2011年5月号より現在の誌名『VOGUE JAPAN』に変更した。2013年1月1日の日本法人の事業統合により、同年3月号以降は合同会社コンデナスト・ジャパン発行・発売。

日本版の初代編集長は渡辺三津子、2022年1月からはティファニー・ゴドイが編集長をつとめている[3]。ファッションディレクターはアンナ・デッロ・ルッソである。2014年より「VOGUE GIRL」の編集長は宮坂淑子に交代した。

創刊10周年を迎えた2009年と15周年を迎えた2014年には、記念増刊号が発売された。いずれも通常発売号よりも大きいB4サイズの判型を用いている。

記事のうち、誌面の角に「VOGUE PROMOTION」と表記された特集は特定スポンサーとのタイアップ(記事広告)で、1号につき3?6か所程度ある。

日本ではほぼ半年おきに別冊付録・増刊号が循環しており、通常発売月を6で割った余りによって以下のサイクルで展開される。

展開中

1 - COLOR BAG&SHOES(別冊付録)

5 - VOGUE Wedding(増刊号)、VOGUE Gioiello(別冊付録)

6月のみ - VOGUE Time(別冊付録)

11月のみ - BEAUTY AWARD(別冊付録)

主に8月 - FASHION'S NIGHT OUT TOKYOガイドブック(別冊付録)

主に10月 - VOGUE gift(別冊付録)

休刊・廃刊

3・9月 - VOGUE HOMMES

不定期 - VOGUE GIRL(増刊号)

このほか、不定期にデジタルライフなどを取り扱った別冊付録、その他増刊号が展開されている。「ファッションズ・ナイト・アウト」開催日の直前の発売(主に8月発売10月号)となる場合にはそのガイドブックが付属する。
歴史1917年5月版の表紙

1892年 - 週刊誌としてアーサー・ボールドウィン・ターナーによって創刊。

1909年 - アーサー・ボールドウィン・ターナーの死後、コンデ・ナストが事業を継承。発行サイクルを2週間おきとし、1910年代初期にイギリスから国外展開を開始した。その後、スペインでの事業は失敗したが、フランスでは成功を収めた。

ナストの手腕により『ヴォーグ』の発行部数・利益は劇的に増加し、購読契約の数も増加。特に世界恐慌時や第二次世界大戦時には急増した。


1960年代 - ダイアナ・ヴリーランドが編集長に就任。現代的なファッションを多く取り上げ、性的なことも大胆に記事で扱う編集術を行ったりしたことで、性の革命時代の若者の心をつかんだ。

1973年 - 月刊誌となり、編集長グレース・ミラベラの下で、読者のライフスタイルの変化に対応するために、さらなる編集の工夫、斬新なスタイルの追求を行い、雑誌は変化を遂げていった。

1988年 - アナ・ウィンターが本国版の編集長に就任。

アナ・ウィンターの編集長就任後

アナ・ウィンターは、ファッション誌業界で定評のある優れたセンスと評判を守るため、より多くの人々に向けた、新しくより親しみやすい「ファッション」の形を雑誌に掲載するようにした[4]

アナ・ウィンターが初めて編集長を務めた号の表紙には、クリスチャン・ラクロアのジャケットとジーンズに高価な宝石を身に着けたイスラエルスーパーモデル、ミカエラ・ベルクの膝から上が起用された。女性の顔のみを写していたそれ以前の写真とは一線を画したもので、これを『タイム』は「彼女の洋服と体の重要性。このイメージもジーンズとオートクチュールを合わせる新しいシックの形で販売促進した。ウィンターのデビューカバーは今日までの現代ファッションに知られるクラスとその他を和解し仲介した」と評した。ウィンターの下では新しく若い才能は歓迎された[5]

ウィンターのファッションショーへの出席は、しばしば産業の中のデザイナーのプロフィールの指標ととられる。2003年に彼女は毎年資金とガイダンスを少なくとも2人の新進デザイナーに提供する基金を生み出すアメリカ・ファッション協議会に加わった[4]。これは新進デザイナーの間で忠誠を構築し、雑誌が優位な位置にい続けるのを助けると『タイム』は評した、「アメリカのファッションに対するかなりの影響。彼女が登場するまでランウェイショーは始まらない。彼女が彼らに油を塗るので彼らは成功する。流行は彼女の命令で引き起こされるか、無力になる。」[4]

トレードマークのボブヘアーと屋内でもサングラスをかけていることでも有名である。
反響

ウィンターの昔のアシスタントローレン・ワイズバーガーは『プラダを着た悪魔』というタイトルの実話モデル小説を書いた。小説は2003年のベストセラーとなり、2006年に映画化された。小説の主人公はワイズバーガーに似ていて、彼女のボスは「ヴォーグ」を思わせる架空のファッション雑誌の、パワフルな編集長である。小説は、『ニューヨーク・タイムズ』の批評によれば、「タバコ・ダイエットドクターペッパー・ミックス野菜サラダで生きているような反キリスト者とファッションモデルのグループ」に支配される雑誌の様子を描いている。ワイズバーガーは小説の中で編集長を「空っぽで、底が浅く、かつ冷酷な女で、ゴージャスな服を大量に持っているけど他には何も持たない」者として描いている[6]。しかし、小説と映画の両方の成功は、ファッション誌に新しい注目を集めるきっかけとなった[7]

2007年、『ヴォーグ』はタバコ広告を掲載していたために、喫煙抑止キャンペーングループ「タバコ・フリー・キッズ・キャンペーン」から批判された。グループは8000人のボランティアが、広告に関して電子メールまたはファクシミリで抗議文を送ったと主張した。グループはまた、ウィンターからのものとされる「止めなさい、あなたはを木々を殺している! (You're killing trees!, 「紙を無駄にするな」の意)」というメッセージが走り書きされたFAXが送り返されてきたと述べている[8]。またコンデ・ナストの報道官は公式に「『ヴォーグ』はタバコ広告を載せる。我々はそれ以上の更なるコメントをしない」と返答した[8]

2008年4月にアメリカ版『ヴォーグ』は、有名カメラマンのアニー・リーボヴィッツが撮影を行った。表紙を飾ったのはスーパーモデルのジゼル・ブンチェンとバスケットボール選手のレブロン・ジェームズ


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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