ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
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九柱戯ボウリング)やビリヤードを好み[注釈 24]、自宅にはキャロムテーブルを置きビリヤードに興じていた[30]。ビリヤード台の上に紙を置き、そこで楽譜を記していたというほどである。賭博にもよく興じたという。高価な衣装を好み、立派な住居を求めて何度も引っ越しをした。モーツァルトの晩年の借金の原因として浪費に加えて「ギャンブラー説」を唱える人もいるが、確かなことは不明である[31]

ドイツ人論議

2006年、ドイツのテレビ局ZDFが「史上もっとも偉大なドイツ人は誰か」というアンケートにモーツァルトをノミネートしたことに在独オーストリア大使館が抗議したことから、議論が巻き起こった。

ザルツブルクに生まれ、後生はウィーン住まいであったことを現在の国家にあてはめると大使館の主張には理があるが、局側は、当時オーストリアという国家は存在しなかったと一蹴。これに対してオーストリア側は「ではドイツという名の国家も存在しなかったのだから、ゲーテはドイツ人ではない」と反論した。厳密には当時はハプスブルク家を皇帝に戴いて「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」(これをドイツ帝国と略称することもある)が存続していたが、実態は統率の緩い国家連合と化しており、ナポレオン戦争以後は新しく成立したオーストリア帝国を議長国とするドイツ連邦に衣替えしている。実際の国家主権はその下に属するザルツブルク大司教領、ウィーンを含むオーストリア大公領バイエルン公国プロイセン王国ザクセン選帝侯領などの大小のドイツ人諸邦が持っていた。そして、このオーストリア大公領が国号でなく、この称号も併せ持つ神聖ローマ皇帝ハプスブルク家の実質支配地域という曖昧な存在であったこと、つまり当時この地域に国号は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」しか存在しなかった、という点がZDFの論拠となっている。

モーツァルト自身は手紙の中で再三「れっきとしたドイツ人として」「ドイツ民族の栄光に寄与できればうれしい」などと繰り返しており、「われわれドイツ人が、ドイツ風に考え、ドイツ風に演技し、ドイツ語で語り、ドイツ語で歌うことを今やっと始めたのだとすると、それはドイツにとって永遠の汚点となるに違いない」という強烈なドイツオペラ宣言まで行っている[32]。また、ショパンの生前、その生国の新聞が「モーツァルトがドイツ人の誇りならショパンはポーランド人の誇りである」と絶賛したのも有名である。また、書簡の中で自らをオーストリア人と述べる言葉がまったくない点も、上記のような国体情勢(大公領としてのエリア区分でしかなかった当時のオーストリアには国家・国民という概念は希薄だったうえに、モーツァルトは、当時はその域外であったザルツブルク出身者であり、オーストリアに在住したのは最後の10年にすぎない)からはやむをえない点である。同じ論法だとマリア・テレジアハイドンもれっきとしたドイツ人だが、こうした、どこまでがドイツ人なのか、ドイツ民族なのか、という問題があるにもかかわらず(これは、オーストリア人ヒトラーや伊仏露など、周辺国だけでなく米国も含まれる海外ドイツ系住民地域など非常に多くの難しい課題をはらんでいる)、結果としてモーツァルトだけがノミネートされたことは議論を呼ぶことになった。現在はザルツブルクやウィーンで、モーツァルトはオーストリア人の英雄として内外に伝えられている。
逸話

モーツァルト一家の親しい友人であり、ザルツブルク大司教に仕えたトランペット奏者、ヴァイオリニスト、チェリストのシャハトナーは
1763年のある日、わずか6歳のヴォルフガングがヴァイオリンを弾こうとしているところに出くわし、彼から「あなたのヴァイオリンは僕のよりも8分の1ピッチ高く調律されていますよ」と言われた。シャハトナーは最初それを聞いて笑ったが、ヴォルフガングの異常な感覚能力と音の記憶力を知っていた父がヴァイオリンを取ってきて「この子の言う通りか確かめてみてくれ」と言うので確かめてみると、ヴォルフガングの言う通りだったという[33]

シャハトナーとの逸話はほかにも残されており、彼はマリアンネ・モーツァルトに向けた1792年4月の手紙にて、次のように書いている。
10歳ころまでの彼は、独奏のトランペットに常軌を逸した恐怖感を抱いていました。ある日あなたのお父さんがこの恐怖感を取り除くべく、近くでトランペットを吹いてやってくれ、と仰ったのでそうしてみたところ、あの甲高い音色を聞くとたちまち蒼白になり、気を失いそうになりました。あのまま続けていれば彼は引付を起こしていたでしょう…(中略)あなたは私がとても良いヴァイオリンを持っていたのをご存じのはずです。亡きヴォルフガングはそれの音色が柔らかくまろやかだというので、『バターみたいなヴァイオリン』と呼んでいました。[34]

音楽てんかん、トランペット恐怖症のどちらかが疑われるが、幼いころにサイレンや航空機などの大きな音を出すものを嫌う子どもは珍しくない。モーツァルトの文献を探しても、既往症であるてんかんの疑惑に対する言及や暗示は見つかっていないため、彼には持続的な恐怖心があり、それが恐怖症へ発展したと考えるのが妥当である。

姉・ナンネル(マリア・アンナ)がウォルフガングのことをよく知っていた人から回想文を集めて出版された本には、次のような証言がある。
彼は最も複雑な音楽の中でさえ最小の不協和音を指摘し、ただちにどの楽器がしくじったかとか、どんなキーで演奏すべきだったかというようなことまで口にした。演奏中の彼は最小の夾雑音にさえいらだった。要するに音楽が続く限りは彼は音楽そのものであり、音楽が止むとすぐに元の子どもに戻るのだった。[35]

1763年5月19日付の「アウクスブルガー・インテリゲンツ・ツェッテル」紙にも、ウォルフガングについての記事が載せられている。
…私は同じく、ある時は鍵盤の低音で、またあるときは高音で、そして可能なすべての楽器で演奏される音を別の部屋で聞かされて、たちどころに演奏された音符名を伝える彼を見聞きした。その通り、彼は鐘や大時計の音を聞き、懐中時計の音さえ聞きながら、聞き取った音をただちに口にすることができたのである…[35]

こういった彼の異常な感覚能力についての話はほかにも数多く伝えられており、たとえばデインズ・バリントンというイギリスの法律家は「あるロンドン王立協会への手紙」にて、モーツァルトが大バッハの未完のフーガの主題と展開を完全に記憶しており、いかに即座に再現し弾き終えたかを語っている。


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