モーツァルトの洗礼名(ラテン語)は、ヨハンネス・クリュソストムス[注釈 20]・ウォルフガングス・テオフィルス[注釈 21]・モザルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)である。当時はイタリアの音楽家がもてはやされており、モーツァルトは「テオフィルス」よりもラテン語で意訳した「アマデウス(Amadeus)」を通称として使用していた。ただしモーツァルトはAmadeusではなくイタリア語風のアマデーオ(Amadeo)をおもに使っていたともいわれ[24]、ほかフランス語風のアマデ(Amade)、ドイツ語風のゴットリープ(Gottlieb)も用いたことがある。 肖像画や銅像ではいずれも「神童」に相応しい端麗な顔や表情、体型をしており子供の姿で描写されたものも多いが、実際の容姿に関しては諸説ある。最初の伝記作者ニーメチェク
容姿
信頼性があるのは、義兄(アロイジアの夫)のヨーゼフ・ランゲによるスケッチである(右下)。
人柄
優秀な音楽家としての顔を持ちながら、その実は猥談を好み、妻のコンスタンツェに宛てた卑猥な内容の手紙が数多く残されている。
女性小説家であるカロリーネ・ピヒラー(英語版、ドイツ語版)は「私がよく知っていたモーツァルトもハイドンも、高級な知能をまったく示さない交友関係の人たちだった。凡庸な精神という素質、おもしろみのない冗談、そしてモーツァルトにおいては軽薄な生活が彼らとの交遊関係でみられたすべてであった。しかし、この取るに足らない殻の中には、素晴らしいファンタジー、メロディー、ハーモニー、そして感情の世界が隠されていた」と書いている。
モーツァルトが書いたとされる手紙は多く残されているが、手紙は最大5か国語を使い分けて書かれている。また友人などに宛てた手紙の中においては、何の脈絡もなく世界の大洋や大陸の名前を列挙し始めたり、文面に何の関係もない物語を唐突にかつ仔細に書き出したりしていた。
マリア・アンナ・テークラ(ベーズレ)の鉛筆画
モーツァルトは従妹に排泄にまつわる駄洒落(トイレのユーモア)にあふれた手紙を送ったことがある[注釈 23]。いわゆる「ベーズレ書簡」といわれるもので、「あなたの鼻に糞をします」「ウンコで君のベッドを汚してやるぞ!僕のおしりが火事になった!どういうこと!知ってるぞ、みえるぞ、なめてやろうか、ん、何だ?ウンコが出たがってる?そう、そうだウンコだ。俺は変態だ!」などの記述がある[26]。従妹はマリア・アンナ・テークラ・モーツァルトといい、父・レオポルトの弟の娘で、ヴォルフガングがこの女性と従妹以上の恋愛関係にあったともされる[9]。
ベーズレ書簡はヴォルフガングの死後、息子たちによって破棄を望まれたが、現在6通が保管されており、これらの手紙は彼の男性的で激しい部分や、言葉による旺盛な想像力を示している。ベーズレの残された数少ない銅版画は、彼女の素晴らしい美貌を示しているが、この点は彼女の強みとはならず、彼女がかなり移り気な女性であったことがのちに証明されることとなった。
遠く離れた妻のコンスタンツェにあてた手紙では、そういった言葉づかいは見当たらず、繊細さや優しさを帯びた手紙となっている。ほかに『俺の尻をなめろ』(K.231、K.233)というカノンも作曲するなど、この類の話は彼にスカトロジーの傾向があったとしばしば喧伝されるエピソードであるが、当時の南ドイツでは親しい者同士での尾籠な話は日常的なものでありタブーではなく[27]、またモーツァルトの両親も大便絡みの冗談をいっていた[28]。
19世紀の伝記作者は、スカトロジーの表現を無視したり破棄したりしてモーツァルトを美化したが、現在ではこうした表現は彼の快活な性格を表すものと普通に受け止められている。また、上掲の「俺の尻をなめろ」"Leck mir den Arsch"、"Leck mich im Arsch"は英語の"Kiss my ass"(「くそったれ!」など)と同類の慣用表現であり、下品ではあるが必ずしもスカトロジー表現とはいえない。
そのほか冗談好きな逸話としては、ある貴族から依頼を受けて書いた曲を渡すときに手渡しせず自分の家の床一面に譜面を並べ、その貴族に1枚1枚拾わせたというエピソードがある。
精神医学界には、こうした珍奇な行動がサヴァン症候群によるものであるという憶測もある[29]。