思想的には、フリーメイソンがパトロンであったこともあり、作品では特に魔笛、ピアノ協奏曲第20番にその影響が指摘されている[注釈 19]。 モーツァルトの時代、現在でいう「ピアノ曲」、ピアノ・ソナタ、ピアノ協奏曲などはドイツ語圏では通常「クラヴィーア」と書かれていた。クラヴィーアとは鍵盤楽器のことであるが、有弦鍵盤楽器を指し、フォルテピアノ、チェンバロ(ハープシコード、クラヴサン)、クラヴィコードのいずれかで演奏される選択の自由があったが、協奏曲などは編成からフォルテピアノかチェンバロで演奏された。今日ではチェンバロで演奏される機会も増えている。 モーツァルトの初期の数作品はチェンバロのために書かれており、彼はレーゲンスブルクの製作者フランツ・ヤコブ・シュペートが作ったピアノに馴染んでいた[18]。 後にモーツァルトはアウクスブルクを訪れてシュタインピアノに感銘を受け、そのことを父親への手紙に書いている[18]。1777年10月22日にモーツァルトは、シュタインが提供した楽器で3台のピアノのための協奏曲(K.242)を初演した[19]。アウクスブルク大聖堂
楽器
モーツァルトが自身の作品でフォルテピアノのためと明記したのは、1785年に出版した作品が初めてであった。チェンバロはバロック音楽に限定されると思われることが多いが、ウィーンでは19世紀初頭までチェンバロが製作されており、ベートーベンの作品の中にもマンドリンとチェンバロのためのソナチネと言う作品が2つあるほどである。 モーツァルトの洗礼名(ラテン語)は、ヨハンネス・クリュソストムス[注釈 20]・ウォルフガングス・テオフィルス[注釈 21]・モザルト(Johannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart)である。当時はイタリアの音楽家がもてはやされており、モーツァルトは「テオフィルス」よりもラテン語で意訳した「アマデウス(Amadeus)」を通称として使用していた。ただしモーツァルトはAmadeusではなくイタリア語風のアマデーオ(Amadeo)をおもに使っていたともいわれ[24]、ほかフランス語風のアマデ(Amade)、ドイツ語風のゴットリープ(Gottlieb)も用いたことがある。 肖像画や銅像ではいずれも「神童」に相応しい端麗な顔や表情、体型をしており子供の姿で描写されたものも多いが、実際の容姿に関しては諸説ある。最初の伝記作者ニーメチェク
人物像モーツァルト(1789年の肖像画)1777年のモーツァルトGiovanni Battista Martiniの依頼による[23]
名前
容姿