ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
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誰も霊柩馬車に同行することを許されなかったため、実際に埋葬された位置は不明である[注釈 13]。この簡素でそっけない埋葬は、晩年のモーツァルトが後援者たちから軽視されていたことの表れだと考えられる[15]

没後100年の1891年、中央墓地(ベートーヴェンシューベルトブラームスら著名音楽家が多数眠る墓地)に当時サンクト・マルクス墓地にあった「モーツァルトの墓とされるもの」が記念碑として移動した際、またもや位置が分からなくなってしまった。現在サンクト・マルクス墓地にある「モーツァルトの墓とされるもの」は、移転後に墓地の看守が打ち捨てられた他人の墓の一部などを拾い集めて適当な場所に適当に作ったものである[注釈 14]。なお、サンクト・マルクス墓地は1874年に新たな中央墓地が建設されたことをもって新規の受け入れを停止している。ヨハン・シュトラウス2世の弟ヨーゼフ・シュトラウスも最初はここに埋葬されていた(1909年に中央墓地に移設)。

現在、国際モーツァルテウム財団(ザルツブルク)にはモーツァルトのものとされる頭蓋骨が保管されている。頭蓋骨に記された由来によれば、埋葬後10年目にモーツァルトを埋葬した墓地は再利用のため整理され、遺骨は散逸し、頭蓋骨だけが保管され、以来複数の所有者の手を経て1902年に同財団によって収蔵された。遺骨の真贋についてはその存在が知られた当初から否定的な見方が多いが、2004年にウィーン医科大学の研究チームがモーツァルトの父・レオポルドほか親族の遺骨の発掘許可を得て、問題の頭蓋骨とのDNA鑑定を行った[注釈 15]。検査の結果、頭蓋骨は伯母、姪の遺骨のいずれとも縁戚関係を認められなかったものの、伯母と姪とされる遺骨同士もまた縁戚関係にないことが判明し、遺骨をめぐる謎は解決されなかった。
作品詳細は「モーツァルトの楽曲一覧」を参照

作品総数は断片も含め900曲以上に及ぶ。作品はあらゆるジャンルにわたり、声楽曲(オペラ、教会用の宗教音楽歌曲など)と器楽曲(交響曲協奏曲室内楽曲クラヴィーアソナタなど)のどちらにも多数の作品が残されている。

作品を識別するには、音楽家のルートヴィヒ・フォン・ケッヘルが分類した作曲順の目録であるケッヘル番号(K.+数字)が使われる[注釈 16]。モーツァルト自身は1784年以降に自作の作品目録をつけている。1784年より前の作品やモーツァルト自身の作品目録に載っていない作品には、作曲の時期がはっきりしないものもある。
代表的な作品


5大オペラ:『後宮からの誘拐』『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』『コジ・ファン・トゥッテ(女はみなこうしたもの)』『魔笛

宗教音楽:大ミサ曲レクイエム、『アヴェ・ヴェルム・コルプス

交響曲:第25番第29番第35番『ハフナー』第36番『リンツ』第38番『プラハ』第39番第40番第41番『ジュピター』

セレナード:『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』『セレナータ・ノットゥルナ

ピアノ協奏曲:第20番第21番第22番第23番第24番第26番第27番

ヴァイオリン協奏曲:第3番第5番『トルコ風』

管楽器のための協奏曲:クラリネット協奏曲フルート協奏曲第1番フルートとハープのための協奏曲オーボエ協奏曲ホルン協奏曲


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