ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
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フランツは職業音楽家となり、「モーツァルト2世」を名乗った[注釈 8]。成人した2人の男子はどちらも子を残さなかったため、モーツァルトの子孫はいない。

モーツァルトの死後、コンスタンツェは、彼女の多大な借金を返すために予約演奏会を開いた[15]。そして数年の間に、ウィーン、プラハ、ライプツィヒ、ベルリンなどの音楽会で、後援者たちから多額の金額を集めている[15]
年譜

1756年 (0歳) 1月27日ザルツブルクに生まれる。

1761年 (5歳) 最初の作曲を行う(アンダンテ ハ長調 K.1a)。

1762年 (6歳) 10月マリア・テレジア御前演奏。

1763年 - 1766年 (7 - 10歳) パリロンドン旅行。

1767年 - 1769年 (11 - 13歳) 第2回ウィーン旅行。オペラ『みてくれの馬鹿娘』K.51上演。

1769年 - 1771年 (13 - 15歳) 第1回イタリア旅行。

1770年 (14歳) 黄金拍車勲章授与。12月26日 オペラ『ポントの王ミトリダーテ』K.87初演。

1771年 (15歳) 第2回イタリア旅行。セレナード『アルバのアスカニオ』K.111ミラノ上演。

1772年 - 1773年 (16 - 17歳) 第3回イタリア旅行。ミラノでオペラ『ルーチョ・シッラ』K.135上演。

1773年 (17歳) 第3回ウィーン旅行。

1774年 - 1775年 (18 - 19歳) 第4回ウィーン旅行。オペラ『偽の女庭師』K.196上演。

1777年 (21歳) ザルツブルクでの職を辞しミュンヘン、マンハイムへ移る。

1778年 (22歳) パリへ移る。7月、同行した母はパリで死去する。

1779年 (23歳) ザルツブルクに帰郷。ザルツブルク宮廷にオルガニストとして復帰。

1780年 (24歳) オペラ『イドメネオ』K.366準備のためにミュンヘンに赴く。マリア・テレジア崩御。

1781年 (25歳) ザルツブルク大司教コロレドと衝突、解雇。ウィーン定住を決意。

1782年 (26歳)

7月、オペラ『後宮からの誘拐』K.384をウィーンで初演。

8月3日コンスタンツェ・ヴェーバーと結婚。


1783年 (27歳)

ザルツブルクに帰郷。大ミサ曲ハ短調 K.427を上演。

6月、長男誕生するもザルツブルク旅行中に死亡。


1784年 (28歳)

第2子カール・トーマス・モーツァルト誕生。

フリーメイソンリーの慈善ロッジ(ウィーン)に入会(書類上では12月5日)。


1785年 (29歳) 弦楽四重奏曲集をハイドンに献呈(「ハイドン・セット」)。

1786年 (30歳) オペラ『フィガロの結婚』K.492初演。

1787年 (31歳) 父・レオポルト死去。オペラ『ドン・ジョヴァンニ』K.527初演。

1788年 (32歳) いわゆる「3大交響曲」を作曲。

1789年 (33歳) ベルリン旅行

1790年 (34歳) オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』K.588初演。

1791年 (35歳) オペラ『皇帝ティートの慈悲』K.621、オペラ『魔笛』K.620初演。12月5日ウィーンにて死去。

死因

症状としては全身の浮腫と高熱であったという。ウィーン市の公式記録では「急性粟粒疹熱」とされる。実際の死因は「リューマチ性炎症熱」であったと考えられている[注釈 9]。リューマチには幼少期の度重なる旅行生活のなかで罹患したとされている[注釈 10]。また、医者が死の直前に行った瀉血が症状を悪化させたとも言われる。

モーツァルトは1791年7月に、自分がアクア・トファーナ(別名ナポリ水とも呼ばれた亜砒酸が主要成分の水溶液で、当時の美顔、美白薬だが毒としても有名だった)で毒殺されかけていると考え、それを妻に伝えている。実際、妻の手紙に「私を嫉妬する敵がポーク・カツレツに毒を入れ、その毒が体中を回り、体が膨れ、体全体が痛み苦しい」とまでもらしていたと言う。当時は遺体のむくみが毒殺の証拠だと考えられており、モーツァルトの遺体がひどくむくんでおり、それによって後述の、サリエリに関する噂が一気に広まった。

また、死後ウィーンの新聞は「毒殺されたのではないか」と報じた。1820年ごろになると、ウィーンでは「ロッシーニを担ぐイタリア派とウェーバーを担ぐドイツ派の論争・対立の中でサリエリがモーツァルトを毒殺した」という噂が流行した。


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