ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)は、1964年に結成されたアメリカのロックバンド。ヴェルヴェッツという略称でも呼ばれる。
商業的な成功を手にすることなく解散したが、ルー・リードのポップセンスから生まれる美しいメロディライン、文学的素養から生まれた同性愛やSMなどの性におけるタブーや、ドラッグなどについての歌詞、ジョン・ケイルによる前衛的かつ実験的なサウンドを特徴とし、同世代のデヴィッド・ボウイやザ・ストゥージズ、ドアーズや、後進のパティ・スミスやテレヴィジョン、ジーザス&メリーチェインをはじめとする多くのアーティストに影響を与え、ロックの芸術性の向上に大きく貢献した。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第19位。 1964年、シラキュース大学を卒業した[5]ルー・リードは生まれ故郷のニューヨークに戻り、レコード会社の雇われソングライターをしながら自分名義のレコード契約の機会をうかがっていた。そんな中、リードはウェールズ出身で現代音楽を学ぶためにアメリカに来ていたジョン・ケイルと出会う。共通の音楽的アプローチを有していた二人は意気投合し、バンドの結成を模索。1965年頃にはスターリング・モリソン
来歴
結成からデビュー
ケイルの友人で、音楽グループ、シアター・オブ・エターナル・ミュージックの一員だったトニー・コンラッドが、リードらに1963年に出版された『The Velvet Underground』というノンフィクションを教えた。同書はジャーナリストのマイケル・リーが書いた性的倒錯に関する書物だった。マクリーズはバンドの名前にふさわしい名だと考え[6]、「アンダーグラウンド・シネマ」を想起させることから他のメンバーも気に入り、1965年11月にバンド名が決定した。その直後、マクリーズが脱退。後任にモーリン・タッカー(ドラム)が加入すると、「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」名義で本格的な活動を始める。ルーの友人であったモーリンの兄が大学時代の同僚スターリングをルーに紹介し、のちにモーリンも兄を通じてバンドに加入した。
初期のヴェルヴェッツはグリニッジ・ヴィレッジのカフェ・ビザールを拠点として演奏していた。ある晩、彼らの演奏を目にしたアンディ・ウォーホルは大いに気に入り、自身が企画していた音楽・ダンス・フィルム・照明・そして聴衆をも巻き込むマルチメディア・イベント「エクスプローディング・プラスティック・イネヴィタブル」での演奏を要請する。同イベントで演奏を行ったヴェルヴェッツは、ニューヨークのヒップな文化人たちに熱狂的に受け容れられた。これがきっかけで、ウォーホルのプロデュースの下でのデビューアルバムの制作が決定する。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ