ヴェルレーヌ
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パンテオン近くの自宅[3]で、娼婦に看取られて死去。遠からぬ ⇒サン・テチエンヌ・デュ・モン教会で葬儀。マラルメ、フランソワ・コペー(fr:Francois Coppee)ほか参列者多数。ただし、入営して病中にあった息子のジョルジュは不参加。パリ市17区のバチニョル墓地(Cimetiere des Batignolles)に埋葬(51歳)。

日本では、東大生の上田敏が、「ポオル・ヴェルレエヌ逝く」(1896)を発表した。

1885年(41歳):漸く文名を世に知られる。昔と近頃(Jadis et naguere)刊行。

1886年(42歳):雑誌に「パルジファル」(Parsifal)掲載。

1888年(44歳):愛の詩集(Amour)刊行。

1889年(45歳):雙心詩集(Parallelement)刊行。

1890年(46歳):献書詩集(Dedicaces)予約出版。

1891年(47歳):文名ますます高まる。「人さまざま」(Les Une et les Autres)上演。幸福(Bonheur)、「ヴェルレーヌ選集」、女に捧げる歌(Chansons pour elle)刊行。

1892年(48歳):我が病院(Mes hopitaux)、内なる祈祷の書(Liturgies intimes)刊行。

1893年(49歳):プリューム(La Plume)誌の第8回饗宴の座長を務める。アカデミー・フランセーズの会員に立候補し、取り消す。哀歌(Elegies)、その名誉を讃える歌(Odes en son honneur)、獄中記(Mes prisons)、オランダ15日(Quinze jours en Hollande)刊行。

1894年(50歳):奈落の底(Dans les limbes)刊行。シャルル=マリ=ルネ・ルコント・ド・リールの後任として、「詩王」(Prince de Poete)に選ばれる。エピグラム(Epigrammes)刊行。

1895年(51歳):懺悔録(Confessions)刊行。「失意」Desappointement執筆。

日本語文献

主な日本語訳

海潮音」、上田敏訳、本郷書院(1905年) → 新潮文庫(改版2006年)ISBN 9784101194011

「珊瑚集」、永井荷風訳、籾山書店(1913年) → 岩波文庫(改版1991年)ISBN 978-4003104163

「ヴェルレエヌ詩集」、鈴木信太郎訳、創元社(1947年)(詳細な年譜あり) → 岩波文庫(改版2004年)ISBN 9784003254714 →「全集 2 訳詩編」大修館書店

「叡智」、河上徹太郎訳、芝書店(1935年)→ 新潮文庫(復刊1994年)ISBN 9784102171028 →「全集 7 翻訳編」勁草書房

「ヴェルレーヌ詩集」、堀口大學訳、新潮社 世界詩人全集8 (1937年) → 新潮文庫(改版2007年)ISBN 9784102171011 →「全集 3 訳詩編」小澤書店

「ヴェルレーヌ詩集」、野村喜和夫編訳、思潮社「海外詩文庫」(1995年) 新書版

「呪われた詩人たち」、倉方健作訳、幻戯書房〈ルリユール叢書〉(2019年)


主な伝記研究

『堀口大學全集 5 ヴェルレーヌ研究』 小澤書店(1983年)

ピエール・プチフィス 『ポール・ヴェルレーヌ』、平井啓之・野村喜和夫訳、筑摩書房(1988年)

アンリ・トロワイヤ 『ヴェルレーヌ伝』、沓掛良彦・中島淑恵訳、水声社(2006年)

野内良三 『ヴェルレーヌ 人と思想』 清水書院 (1993年、新版2016年) 新書版


歌曲

以下の作曲家がヴェルレーヌの詩をもとにした歌曲を残している。

エルネスト・ショーソン - 『4つの歌曲』から1篇、『ヴェルレーヌの2つの詩』から2篇

「安らぎ」op.13 (1885年)

「いと優しき歌」op.34 (1889年)

「不運な騎士」op.34 (1889年)


ガブリエル・フォーレ - 『艶なる宴』から4篇、『言葉なき恋歌』から2篇、『優しき歌』から9編、他

「月の光」Op.46-2(1887年)

「憂鬱」op.51-3(1889年)

歌曲集『5つのヴェネツィアの歌』Op.58(1891年、5曲)

「マンドリン」「ひめやかに」「グリーン」「クリメーヌへ」「やるせない夢心地」


歌曲集『優しき歌』op.61(1891年 - 1892年、9曲)

「後光を背負った聖女」「暁の光は広がり」「白い月影は森に照り」「私はつれない道を歩む」「私は本当に恐ろしいほど」「暁の星よ、お前が消える前に」「それはある夏の明るい日」「そうでしょう?」「冬が終わって」


「牢獄」Op.83-1(1895年)


クロード・ドビュッシー - 『艶なる宴』から9篇、『言葉なき恋歌』から6篇、『叡智』から3篇

「操り人形」(1882年)

「ひめやかに」(1882年)

「マンドリン」(1882年)

「パントマイム」(1882年)

「月の光」(1882年)

歌曲集『忘れられたアリエッタ』(1886年 - 1889年、6曲)

「やるせない夢心地」「巷に雨の降るごとく」「木陰にて」「木馬」「緑」「憂鬱」


歌曲集『艶なる宴』第1集(1891年、3曲)

「ひめやかに」「操り人形」「月の光」


歌曲集『3つの歌曲』(1891年、3曲)

「海はさらに美しく」「角笛の音は悲しく」「垣根のつらなり」


歌曲集『艶なる宴』第2集(1894年、3曲)

「無邪気な人たち」「牧神」「感傷的な対話」



モーリス・ラヴェル - 『艶なる宴』から1編、『叡智』から1篇

「暗く果てしない眠り」(1895年)

「草の上で」(1907年)


肖像画

1844-1877年
ギュスターヴ・クールベ

1890年
ウジェーヌ・カリエール

1892年
エドモン=フランソワ・アマン=ジャン

1898年
エドゥアール・シャンタラ画

脚注^(Lycee Condorcet )
^ a b c ランボー殺害未遂で使用の銃、5260万円で落札 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
^ 「パリの胃袋」として名高いムフタール通り (Rue Mouffetard) と繋がり、名門高校(リセ)のアンリ4世校の裏手にあるデカルト通り (Rue Descartes) 39番地にある。この建物は現在『ヴェルレーヌの家』と呼ばれるレストランになっているが、内装はヴェルレーヌ関係のものは一切なく映画俳優らの写真を並べたもので、価格も同じ通りのほかのレストランに倣い旅行者向けの手ごろな値段である。またこの建物の左隣には辻邦生が在住したと記した、ヴェルレーヌのものより一回り小さい記念プレートが掲げられている。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}フランス語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。ポール・ヴェルレーヌウィキメディア・コモンズには、ポール・ヴェルレーヌに関連するカテゴリがあります。

太陽と月に背いて

月の光 (詩)

秋の歌 (詩)

トム・ヴァーレイン

外部リンク

ヴェルレーヌの多くの詩

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