大潮、低気圧、そしてアドリア海の東南から吹く風「シロッコ (scirocco)」の3つの要因が重なると、「アックア・アルタ(acqua alta、高水の意)」と呼ばれる異常潮位を起こす高潮がヴェネツィア湾で起こる。このとき、ヴェネツィアの街中まで水が入り込み、特に一番低い「サン・マルコ広場」は水没する(広場や道路には臨時の高床が組まれ、通行を確保する)。過去に北の対岸の本土マルゲーラ地区で工業用の地下水のくみ上げが行われたことにより地盤沈下が起こり、アックア・アルタによる浸水の水位が1メートル以上になったこともある。建造物の沈下は、地下の帯水層の流出が原因とされるため、地下水使用の制限やアルプスからの水道の導入などで対処している。さらに今後の地球温暖化によって海面上昇が加速されることとなれば、将来ヴェネツィアの街全体がアドリア海に水没してしまうことが懸念されている。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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出典検索?: "ヴェネツィア"
干潟に建物を建てるため、大量の丸太の杭を打ち込みそれを建物の基礎とした。そのため、“ヴェネツィアを逆さまにすると森ができる”(地中に丸太が乱立するがごとく大量に打ち込まれたため)と言われている。こうした海底の泥岩まで達するように埋められた丸太の林の上に、海水の波にも強い「イストリアの石」(石灰岩)を敷いて土台とし、その上に比較的軽いレンガを漆喰で固めた壁と、板の床を使って、3 - 4階までに限ってビルを建てているため、建物は傾くが意外に軟構造で、イタリアに多い地震でもベネツィアのビルは倒壊したことはない。しかし、近年地盤の沈下とともに海水の波が基礎の上のレンガの部分を浸食し始めており、多くのビルが危ない状態になってきた[7][出典無効]。 水没を防ぐために、アドリア海との間の3か所に可動式の3メートルの高さの防潮堤を設ける「MOSEプロジェクト」(MOSE Project
問題の解決への努力
2019年11月13日、1966年の高潮(1.94メートル)に匹敵する高潮(1.87メートル)に襲われ、市は未曾有の被害を被り、市長はモーゼ計画を継続することを市民に約束し[8]、イタリア政府も計画の完成を加速することを発表した[9]。 気候分類では、zona E, 2345 GGに分類される[10]。また、イタリアの地震リスク階級 (it
気候分類・地震分類
歴史詳細は「ヴェネツィア共和国」および「ヴェネツィア共和国の歴史」を参照ヴェネツィア共和国の領土の変遷
ヴェネツィアの土地は、大陸からの川の流れに乗ってくる土砂、そして、アドリア海の波と風の力によって作られた湿地帯である。
古代、ヴェネツィア周辺の地域にはウェネティ人が住んでいた。伝説では、アクイレイア、パドヴァなどの北イタリアの都市の住民が、5世紀のフン族やランゴバルド人のイタリア侵攻からのこの湿地帯へと避難してくることから、452年にヴェネツィアの歴史が始まる。このとき避難してきた先が現在のトルチェッロ島である。足場が悪い湿地帯のため、侵入者は追ってくることができず、避難した人々はここに暮らし続けるようになる。干潟に住むメリットを保つため、干潟を荒らしたり干拓したものを極刑にするという法を作る、普段は船が通れる道を杭で示していたが非常時にはその杭を抜くなど、干潟を守り、かつ有効に利用していた。