最も高貴な共和国ヴェネツィア(もっともこうきなきょうわこくヴェネツィア、ヴェネト語: Serenisima Republica de Venexia(Venessia)、イタリア語: Serenissima Repubblica di Venezia)、通称ヴェネツィア共和国(ヴェネツィアきょうわこく、Republica de Venessia、Repubblica di Venezia)は、現在の東北イタリアのヴェネツィアを本拠とした歴史上の国家である。7世紀末期から1797年まで1000年以上の間に亘り、歴史上最も長く続いた共和国である。「晴朗きわまる所[1]」や「アドリア海の女王」とも呼ばれる。東地中海貿易によって栄えた海洋国家であった。
年表詳細は「ヴェネツィア共和国の歴史」を参照
697年 - 伝承では、最初のドージェパオルッチョ・アナフェスト(英語版)が選出されたといわれる。
726年 - 歴史的に確認されている最初のドージェオルソ・イパート(英語版)が東ローマ帝国から承認される。
803年 - パクス・ニケフォーリ(英語版)(カール大帝とニケフォロス1世の間に結ばれた講和条約)により、ヴェネツィアが東ローマ帝国領でありつつも事実上独立していることが確認される。
810年 - イタリア王ピピンの侵攻を撃退する。
828年 - 福音記者マルコの遺体をアレクサンドリアから運び、守護聖人とする。
991年 - バシレイオス2世から金印勅書を獲得し、東ローマ帝国内での免税特権を得る。
11世紀初頭 - ダルマチアを征服し、アドリア海の制海権を確保する。
11世紀 - アレクシオス1世コムネノスから金印勅書を獲得し、名目上も独立を果たす。
11世紀 - アジアから運ばれる商品を中継することで莫大な富を築く。
1099年 - 第1回十字軍に参加し、エルサレム王国における名目上の自治権を得る。
1204年 - 第4回十字軍に参加しコンスタンティノポリスを占領する。クレタなど獲得する。
1258年、1295年、1299年 - ジェノヴァ共和国と衝突する。
1284年 - 貨幣「ドゥカート」を発行する。
1290年 - ハンガリー国王にヴェネツィアの名家モロシーニ家(英語版)出身のエンドレ3世が即位する。
1305年 - オモデオ・タッソがヴェネツィア使者商会を設立する。
1310年 - 元首ピエトロ・グラデニーゴによる改革に反発するクーデターが発生(失敗)、以後共和国の政治は事実上の寡頭政に移行する。
(1323年に議員世襲制が、1335年に十人委員会が常制化される)
1350年から1381年 - ヴェネツィア・ジェノヴァ戦争に勝利する。
1355年 - 元首マリーノ・ファリエロが王政を目指しクーデターを起こすも失敗し死刑になる。
1408年 - ハンガリー王国からダルマチアを奪取する。
1423年 - テッサロニキを獲得する。
1425年 - ミラノ公国からアッダ川までの領土を奪取する。
1454年 - ローディの和
1463年から1479年 - オスマン帝国との戦争によりネグロポンテなどを失う。
1482年 - フェラーラ戦争(イタリア語版、英語版)で勝利する。
1489年 - キプロス島を獲得する。
1503年 - アプリア港を獲得する。
1508年から1516年 - カンブレー同盟戦争(イタリア戦争のひとつ)
1522年 - ロドス島のロドス包囲戦でオスマン帝国に敗北する。
1538年 - プレヴェザの海戦でオスマン帝国に敗北する。
1571年 - オスマン帝国により、キプロス島が陥落する。レパントの海戦で勝利するも、キプロス奪還には失敗する。
1613年から1617年 - オーストリアとの戦争
1628年 - マントヴァ継承戦争(イタリア語版、英語版)
1630年頃 - 黒死病の流行
1644年から1669年 - オスマン帝国との戦争によりクレタを失う。
1684年から1699年 - モレア戦争(英語版)によりダルマチアおよびギリシアの領土をわずかに回復する。
1797年 - ナポレオン・ボナパルトに降伏。カンポ・フォルミオ条約調印によりヴェネツィア共和国は正式に消滅。
政府15世紀から16世紀にかけてのヴェネツィア共和国の領域。濃赤は15世紀初頭までの領土、赤は16世紀初頭までの領土、ピンクは一時的に領有していた土地を示す。