紀元前217年にも大規模な噴火を起こしている[2]。紀元62年2月5日に、「ポンペイ地震」と呼ばれる大地震があり、付近の町に大損害を与えた[4]。それ以後微地震が続いた[5]。皇帝ネロは復興に国を挙げて取り組み、純ローマ風の街(ポンペイ)として再建した[6]。
西暦79年のヴェスヴィオ噴火(英語版)が有名であり、この時の火砕流でポンペイ市を、土石流でヘルクラネウム(現エルコラーノ)を埋没させた。この噴火について、学者大プリニウスが死んだ日の様子を甥の小プリニウスが友人タキトゥスに語った書簡がその書簡集に含まれており、その詳細な描写から、ヴェスヴィオ山のように大量の軽石や火山灰を高く噴き上げる大規模な噴火をプリニー式噴火と呼ぶようになった。以降数十回の噴火を繰り返している。なお、79年の噴火は小プリニウスの書簡から8月24日に発生したと長年信じられてきたが、2018年にポンペイ遺跡の第5区画と呼ばれる区画の発掘調査で発見された館の壁に書かれた文章から、実際は10月頃に噴火した可能性が出ている[7]。
以降の記録では432年にもVEI-5の準プリニー式噴火があり、また1631年12月16日には432年とほぼ同規模のVEI-5の噴火が発生し、約3,000人が死亡した。また1822年には噴煙を14km噴き上げている。1906年4月7日にも噴火を起こしており、降灰などにより約300人の死者を出している[8]。この噴火はイタリアの経済を圧迫し、1908年のオリンピックの開催地をローマからロンドンに変更させる要因にもなった[8]。最も新しい噴火は1944年3月22日のもので、サン・セバスティアーノ村を埋没させた。その後、ヴェスヴィオ山は噴火していない[9]。
1880年には山麓から火口まで登山電車(フニコラーレ)の「ヴェズヴィアナ鋼索線」が開通した。これを記念して作られた歌(いわゆるコマーシャルソング)が「フニクリ・フニクラ」である[10]。この登山電車は前述の1944年の噴火で破壊された。その後ケーブルカーはリフトに替わったが、多数の観光客に対応するため道路が整備され、リフトは1984年に廃止された。
国立公園になっており、火口縁には遊歩道がある。駐車場から頂上まで往復2時間かかる。 ヴェスヴィオ山、ソンマ山および付近のナポリ湾岸一帯は伝統的な農業地帯で、果物、ブドウ、花きの生産が盛んである。植物相は典型的な地中海性のもので、オウシュウシラカンバ
生物圏保護区
ヴェスヴィオ山を含む一帯は1997年にユネスコの生物圏保護区に登録された[11]。なお、古代遺跡が分布する「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」は同年にユネスコの世界遺産にもなった[12]。
その他
ヴェスヴィオ山は、東京ディズニーシーの中央部に聳えるシンボル的存在であるプロメテウス火山のモデルとなっている。
ヴェスヴィオ山は、マグマが石灰石の地層を通って反応するため、火山噴出物として多数の珍しい鉱物を産出する。ベスブ石、ヒューム石などの鉱石はヴェスヴィオ山の火山噴出物から発見されている。
ギャラリー
衛星写真
地形図
西より
火口
火口内
1872年4月
ヴェズヴィアナ鋼索線
ポンペイ遺跡から
脚注[脚注の使い方]^ “イタリア・ベスビオ火山、100年以内に大噴火の可能性は27%”. AFPBB. 2021年4月18日閲覧。
^ a b 石弘之 2012年 71ページ
^ Niklas Linde; et al. (2017). “The 3-D structure of the Somma-Vesuvius volcanic complex (Italy) inferred from new and historic gravimetric data”. Scientific Reports 7 (8434). doi:10.1038/s41598-017-07496-y.
^ “ポンペイから学ぶ火山対策”. 2020年11月3日閲覧。
^ 大久保雅弘著『地球の歴史を読みとく -ライエル「地質学原理」抄訳-』古今書院 2005年 65ページ
^ 石弘之 2012年 71-72ページ
^ ポンペイ遺跡で日付の落書き発見、噴火発生日の論争に決着か - CNN、2018年10月17日
^ a b “イタリア・ヴェスヴィオ山噴火(1906年4月7日) | 災害カレンダー”. Yahoo!天気・災害. 2021年3月21日閲覧。
^ “恐ろしい大噴火、高熱で脳が沸騰、頭骨が爆発”. natgeo.nikkeibp.co.jp. 2022年1月27日閲覧。
^ 池上英洋『美しきイタリア 22の物語』光文社、2017年、27頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-334-04303-2。