ヴィースバーデン
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ファザネリー(直訳すると「キジ園」)には約 50 種の在来動物と数多くの植物がある。アウカムの薬草園では、250 種以上の薬用植物が栽培されている。フラウエンシュタイン近くの「シュランゲンプファート」(蛇の径)は、ここに棲息するクスシヘビについての情報を提供している。この学習路は「ワインと自然の学習路ヴィースバーデン」とも呼ばれる。ネロベルクには「森の学習路」も存在する。
隣接する市町村

ヴィースバーデン市は以下の市町村と境を接している。ただし一部はライン川およびマイン川を隔てて面している。北から時計回りに列記する。

タウヌスシュタインラインガウ=タウヌス郡

ニーデルンハウゼン(ラインガウ=タウヌス郡)

エップシュタインマイン=タウヌス郡

ホーフハイム・アム・タウヌス(マイン=タウヌス郡)

ホーホハイム・アム・マイン(マイン=タウヌス郡)

ギンスハイム=グスタフスブルクグロース=ゲーラウ郡

マインツ(郡独立市、ラインラント=プファルツ州

ブンデンハイム(マインツ=ビンゲン郡、ラインラント=プファルツ州)

ヴァルフ(ラインガウ=タウヌス郡)

エルトヴィレ・アム・ライン(ラインガウ=タウヌス郡)

シュランゲンバート(ラインガウ=タウヌス郡)
ヴィースバーデン市の市区地区
市の構成

ヴィースバーデンの市域は26の オルツベツィルク(以下、「市区」と訳す)に分けられる。各市区には区長を代表とする市区委員会がある。26の市区のうち、6市区がヴィースバーデン=アルトと呼ばれる中核都市部であり、残る20市区は 1926年以降に合併した旧市町村である。それぞれの市区で住宅地や団地に固有の名称を付けている場合もある。

かつてマインツ市のライン川右岸地区だった市区、すなわちマインツ=アメーネブルク、マインツ=カステル、マインツ=コストハイムの3市区(これらの総称として AKK という略号が用いられる)は、地理上および政治上特殊な状況にある。これらの市区名前半部の「マインツ=」はこれらのヴィースバーデン市に属す市区の公式な市区名の一部である。つまり、「ヴィースバーデン=カステル」ではなく「マインツ=カステル」が正しいのである。これには、第二次世界大戦後にフランス管理地域とアメリカ合衆国管理地域の境界を策定する際、ライン川右岸にあったこれらのマインツ市の衛星都市は、ヴィースバーデンの「信託統治地区」とされ、ヘッセン州に属すこととなったという経緯がある。

26市区の人口は2017年2月28日現在の数値である。[14]No.
市区名
面積
(km2)人口
(人)人口密度
(人/km2)外国人数
(人)外国人比率
(%)
32アウリンゲン3.123,4111,0932346.9
14ビープリヒ12.9938,8232,9899,59924.7
12ビーアシュタット9.2212,6001,3671,75513.9
34ブレッケンハイム6.403,4125332126.2
26デルケンハイム7.435,13369182116.0
16ドッツハイム18.2727,3171,4955,19419.0
13エルベンハイム11.279,9318812,21622.3
28フラウエンシュタイン10.652,3452201777.5
22ヘスロッホ1.54695451578.2
24イクシュタット7.262,1893021225.6
07クラーレンタール6.1310,5621,7232,01519.1
23クロッペンハイム5.392,3304321857.9
51マインツ=アメーネブルク (AKK)[注釈 1]3.711,59743049030.7
52マインツ=カステル (AKK)[注釈 1]9.5113,4111,4103,54226.4
53マインツ=コストハイム (AKK)[注釈 1]9.5314,2091,4912,86220.1
33メーデンバッハ4.472,4665522409.7
01ミッテ1.5322,15214,4786,65330.0
31ナウロート10.994,4354042575.8
25ノルデンシュタット7.737,8611,01784110.7
02ノルトオスト19.4423,0491,1863,22414.0
21ラムバッハ9.922,20322223010.4
06ラインガウフィーアテル、ホラーボルン2.4722,0018,9075,09323.1
27シールシュタイン9.4310,2351,0851,53815.0
11ゾネンベルク8.348,1319757699.5
03ジュートオスト6.6221,0333,1774,37520.8
08ヴェストエント、ブライヒシュトラーセ0.6718,13427,0665,89832.5
ヴィースバーデン
(AKKを含む)203.90289,6651,421 58,59920.2
AKK22.7529,2171,2846,89423.6

市の外観1888年頃のヴィースバーデンの都市計画図
中心部

ヴィースバーデン中心部の景観は主に 4つの特徴がある。

中心部の建物の多くは、1850年から
第一次世界大戦開戦前の 1914年までの期間に建造された。

この時代のヴィースバーデンは、皇帝の宮廷都市であり、数多くの裕福な賓客が訪問した。

第二次世界大戦では、数多くの特徴的な建造物が破壊された他の都市に比べ、ヴィースバーデンの被害は軽度であった。都市の破壊率は 30 % ほどであり、街の景観を決定づける重要な建造物や道路の配置は戦前のまま保たれた。

1950年代から1960年代にかけてのたとえば居住区域と労働区域を分離するなどといった新しい都市形成の基本法であるアテネ憲章に従って手を加えられた箇所が他の大都市に比べてはるかに小さい。その結果、ヴィースバーデンの中心市街では、新しく造られた通り抜け道路や土地造成の影響を受けずに済んだ。当時エルンスト・マイによって立案された都市計画「新しいヴィースバーデン」は、実行されなかったのである[15]

これら 4つの特徴によりヴィースバーデン中心部は極めて均一的な外観を呈している。ほぼすべての建物が古典主義様式歴史主義様式あるいはユーゲントシュティールに分類される。19世紀末に豪華なファサードを持ち、並木道が整備された高級住宅地が建設された。たとえばラインガウ街、フェルトヘルン街、ディヒター街やリング通り周辺地区などがそれである。世界的な温泉都市としての名声により、中心部には、たとえばクアハウス(1907年)、ヘッセン州立劇場(1894年)、マルクト教会(1853年から1862年)、リング教会(1894年)といった立派な公共建築や、クアパルク、ヴァルマー・ダム、ライジンガー=アンラーゲン、ボウリング・グリーンといった広々とした公園施設が設けられた。これにより現在のヴィースバーデンは歴史主義の典型例とされている。ドイツ文化財保護協会代表者のゲオルク・キーゾフは2005年にこの街をユネスコ世界遺産に登録するよう提案した。

この街の景観は、多くの要素で構成されている。密集した建造物は主にタウヌス山地南麓の谷状の窪地に広がっている。それはさらに以下の部分に分けられる。

「ヒストリシェス・フュンフエック」(歴史的五角形)に、街の古い中心部がある。この変則的な地割りは、通りに見て取れる。その中心は城館広場とマウリティウス広場である。歴史的五角形北西の狭いベルクキルヒェン街は高台の上にある。1969年から1974年までの間に、それまでの旧市街メインストリートは歩行者専用地区とされた。南北に通るラングガッセやキルヒガッセ、東西に通るエレンボーゲンガッセを含むミヒェルスベルク=マルクト通り=城館広場の区域である。最初はファウルブルネン通りから着手され、1974年の城館広場祭に合わせて完成された。その後歩行者専用地区はゴルトガッセ、州議会の裏に当たるヴァーゲマン通りとグラーベン通りとで交際されるシフフェン地区、ノイガッセ、シュールガッセ、マウアーガッセ、と広がっている。

「歴史的五角形」の周囲の地域は市の建設責任者クリスティアン・ツァイスによって設計された。この地域にはヴェストエントや中心部南地区の他に北東のクールベツィルクの一部も含まれる。この地域の主な都市建築要素としては、ボウリング・グリーン周辺の建築アンサンブルの他、ヴィルヘルム通り、ライン通り、アドルフスアレー、ルイーゼン広場がある。

リング通りとその外側は、主に並木道として整備されたカーブの多い道路からなっており、都市建築家フェリックス・ゲンツマーの特徴が表れている。ここには歴史主義様式の豪華な邸宅がある。また、ゼーダン広場、ブリューヒャーシューレがあるブリューヒャー広場、グーテンベルクシューレがあるグーテンベルク広場、リング教会、ルター教会、三位一体教会などが際立っている。

これらの建て込んだ地域の外側は谷状の窪地の斜面に位置する村落部につながっている。ここもやはり 19世紀に建設された。ネロタールとその周辺、エムザー通りのフィリップスベルク、ゾンネンベルクやいわゆるヴィレンゲビート・オスト(東のお屋敷街)、ヴィルヘルム通りの東側、フリードリヒ=エーバート=アレーがこれにあたる。ここにはかつての防空トーチカがある。

外郭市区

さらに中心地から離れるにつれ、市が拡大していった戦後に建てられた建物が増え、古い建物は徐々に少なくなっていく。

中心部から南東(グスタフ=シュトレーゼマン=リングやベルリナー通り周辺)には、1950年代以降に近代的なオフィス建築が造られた。ヴィースバーデン中心部に工業・産業地区がほとんどないということは特筆に値する。例外がマインツ街道沿いで、高層ビル「マインツァー 75」や様々な自動車販売店、古い工場、ファストフードチェーンのレストラン、電子マーケットがあり、ヴィースバーデン中心部からも近い重要な産業地区を形成している。この地区の建設は 20世紀末になされた、古い建物を取り壊し、別の利用者が新しい建物を建設するという過程が徹底的になされた。取り壊されたのは、ディッカーホフ採石場に新しい社屋を建設して移転した塵芥処理業者の建物や造園センターの建物(ここには2010年以降、区および地方裁判所の司法センターがある)であった。畜殺場も1990年末に閉鎖され、最後まで営業していた食肉マーケットが1994年に移転した後、その敷地はほぼ完全に整地された。ここには、ライン=マイン=ハレンの会議場および駐車場の他には、文化センターとして利用されている2棟の建物があるだけである[16]

外郭市区はかつては独立した市町村であったが、その一部はすでに中心部と一体化している(ドッツハイム、シールシュタイン、ビープリヒ、ビーアシュタット、ゾンネンベルク、ラムバッハ)。マインツ=カステルやマインツ=コストハイムは小都市風の佇まいを見せている。東の衛星都市(ナウロート、アウリンゲン、ブレッケンハイム、メーデンバッハ、クロッペンハイム、ハスロッホ、イクシュタット、ノルデンシュタット、エルベンハイム、デルケンハイム)は田舎風の景観を留めている。フラウエンシュタインはドッツハイムとともに西の衛星都市である。

中心部の建設や市区の拡張とは別に、第二次世界大戦後の建設工事の結果中心部とは空間上隔たった住宅地も建設された。たとえばヴィースバーデンに駐留するアメリカ軍のための居住地区(中心部南東のハイナーベルク、ビーアシュタット西のクレストヴューおよび北西のアウカム)が造営された。

都市プランナーエルンスト・マイは、1960年代から新しい居住地区の建設を委嘱された。1964年からトラバンテンジードルング(衛星住宅地)クラーレンタールを建設し、固有の市区として周縁部の開発を行った。


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