ヴィルトゥオーソ
[Wikipedia|▼Menu]
ヴィルトゥオーソは、このようにしばしば「解釈の恣意性・独断性」と結びついたため、その反動として、反ロマン主義を標榜した新古典主義音楽の時代に、「楽譜への忠実さ」が求められるようになった。

しかし、新古典主義の作曲家がバロック音楽を美化したにもかかわらず、おおむねバロック音楽の作曲家は、楽譜が自由に扱われることを前提に記譜する習慣をもっていた。バロック音楽から古典派音楽の作曲家は、たいてい何らかの楽器のヴィルトゥオーソであった。例外的に自分の意図を明確に楽譜に固定しようとしたのはバッハぐらいのものであり、ヘンデルの組曲やソナタは、演奏者による再構成がしばしば必要になると言われている。

ヴィルトゥオーソはしばしば熱心な支持者の賛美や崇拝の対象となる。19世紀のヴィルトゥオーソへの熱狂は、同時期の天才崇拝に似た流行であり、とりわけヴィルトゥオーソが自作を披露する場合に、ヴィルトゥオーソ熱と天才崇拝が重なり合うことが多かった。ヴィルトゥオーソの側でも自分の天才性や神秘性を意識し、めったに教育に興味を示さないばかりか、自らの練習風景を他人に聴かれることさえ疎んじた(たとえばホロヴィッツは、公認の弟子を一人しかとらなかった)。自作の演奏をミサや秘儀の挙行になぞらえていたスクリャービンは、ヴィルトゥオーソのカリスマ性についてよく認識していたといえる。

権威ある名演奏家が名演奏家を育てるシステムが、19世紀末の欧米に一般化してから、多少の変化が見え始めた。しかしながら現代になっても、ヴィルトゥオーソが次世代のヴィルトゥオーソを育てる環境や体制が整っているとは言いがたい。ラフマニノフバルトークミルシテインギンゴールドのような例外もあるものの、それでもなお有名になった門人の数は多くない。ギーゼキングハイフェッツから、同様な技巧と知名度を持った直系の弟子は出ていないといっても過言ではない。対照的に、国際的に名ヴァイオリニストの養成者として有名だったドロシー・ディレイは、本人が世界的なヴィルトゥオーソとして活躍した経験がなかった。

ヴィルトゥオーソは、一般的には特定の個人を指して使うのが普通であるが、時には、「ベルリン・フィルシカゴ交響楽団は、ヴィルトゥオーソの団員ぞろいだ」というような言い回しの中にも現われる。

典拠管理データベース: 国立図書館

フランス

BnF data

ドイツ


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef