ヴィゴ・モーテンセン
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しかし当時の教師や同級生によると、この頃は小柄で大人しい生徒で、決して目立つタイプではなかったという。
青年時代

ウォータータウン高校卒業後は近郊のニューヨーク州セントローレンス郡カントンの私大、セント・ローレンス大学へ進学。学生時代は政治学の教授夫妻宅に下宿していたが、基本的には脚本家志望の友人の部屋に入り浸っていた。大学一年のハロウィンパーティではデヴィッド・ボウイの『アラジン・セイン』の衣装とメイクをしたまま酩酊。有刺鉄線の上に顔から倒れ込み、その際上唇の左側から鼻にかけ皮一枚を残して切断。友人らによって病院に担ぎ込まれるも、現在も傷が残るほどの大怪我を負った。縫合時は麻酔が要らないほど泥酔していた。スペイン文学政治学で学位を取得し、卒業時には政治学専攻らしく「式用の礼装製造業者が従業員に不当労働を強いている」として抗議の意を示すため数名のクラスメイトと共に角帽とガウンを着用しないことを約束した。ただし実際にそれを実行したのはヴィゴだけだった。卒業後はデンマークに渡り花売りやウェイターなどをしながら滞在。ロンドン近郊に住んだこともあり、映画館に入り浸っていた。その後、当時の恋人を追って帰国。
『ロード・オブ・ザ・リング』以前

大学卒業後に欧州に滞在していた頃も映画館に入り浸っていたヴィゴは、ピエル・パオロ・パゾリーニイングマール・ベルイマンアンドレイ・タルコフスキー小津安二郎などの映画に影響され、本格的に俳優を志すようになる。ニューヨークへ行った恋人を追って帰国した後は「Warren Robertson[7] Acting Workshop」に参加。デンマークの親族と友人らには、俳優志望である旨の手紙を出したが、誰も彼が本気だとは思わなかった。ヴィゴは生活のためアイスクリーム売りやバーテンダーなどのアルバイトをしながら演技の基礎を学び、1982年に舞台デビュー。インディアナ・レパートリー・シアターでの『ロミオとジュリエット』、アメリカン・レパートリー・シアターでの『Kevin O'Cypher』、Ryan Repertory Companyでの『Two by Two』、Ensemble Studio Theaterでの『The Rapidio』など幾つかの舞台に出演した。

1984年にはドラマ『George Washington』でテレビ・デビュー。同年『スイング・シフト』(ジョナサン・デミ監督)でスクリーン・デビューの予定だったが、編集時に出演シーンはカットされる。ウディ・アレンの『カイロの紫のバラ』にも参加したが、こちらも編集でカットされたため、結局1985年の『刑事ジョン・ブック 目撃者』がデビュー作となった。

1987年、ロサンゼルスのコースト・プレイハウスで上演された舞台『ベント』で、強制収容所のナチ将校を演じDrama-Logue Awardを受賞。1991年にはショーン・ペン監督処女作の『インディアン・ランナー』に出演。深刻なPTSDを負ったベトナム帰還兵の弟を演じ、一躍注目される。しかしその後は僅かな佳作を除いて出演作に恵まれることは無かった。
『ロード・オブ・ザ・リング』以後

2001年から2003年にかけて公開された『ロード・オブ・ザ・リング』三部作は、映画史に残る大ヒットを記録し、ヴィゴをはじめ共演者やスタッフらの名声を大いに高めた。当初アラゴルン役にキャスティングされていたのはスチュアート・タウンゼントだったが、彼の容姿が思ったより若かったことから撮影開始後になって急遽ヴィゴが撮影に参加することとなった。出演依頼を受けた際、長期間の撮影で子供と離れて生活することを嫌がり一旦は断ろうとしたが、それを聞いた『指輪物語』ファンの長男に、依頼を受けることを熱心に勧められ出演することに決めた。ロケ地であるニュージーランドからの連絡を受けた2日後には現地でアラゴルンを演じていた。同作の宣伝で出向いたカンヌ国際映画祭のパーティ会場では、カナダの映画監督デヴィッド・クローネンバーグと知り合うこととなった。この出会いが後に『ヒストリー・オブ・バイオレンス』(2005年)、『イースタン・プロミス』(2007年)出演のきっかけとなる。同作の演技により、2008年第80回アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた(2008年2月25日発表)。
私生活

1987年7月8日、映画『T.V.サルベーション』の共演者でパンクバンドXのヴォーカリスト、エクシーン・セルベンカ(1956年2月1日 - )と結婚。アイダホ州へ移住。翌年には長男ヘンリー・ブレイク(1988年1月28日 - )が誕生[8]するも1992年に別居。一家はロサンゼルスに戻る。別居理由は生活拠点をアイダホ州に移したことによって一家の収入が激減したことが一因とも言われている。正式離婚は1998年3月13日親権は元妻と共同保有。現在も家族ぐるみの良好な友人関係にある。その後は父子家庭を切り盛りしていたが、2007年現在では長男の大学進学に伴い一人暮らし。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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