『レ・ミゼラブル』が出版された直後、海外旅行に出かけたユーゴーはその売れ行きが心配で、出版社に一文字「?」と書いただけの電報を送ると、その後出版社から「!」とだけ書かれた返信が届いた。「上々の売れ行きです!」というわけである。事実数日で完売・売切れの状態であったという。これは世界で最も短い手紙として『ギネス世界記録』に掲載されている[9][要検証 – ノート][10]。 1870年に勃発した普仏戦争はフランスの大敗北に終わり、セダンの戦いでプロイセン王国の捕虜となったナポレオン3世は失脚した。これによってユーゴーは帰国を決意し、19年ぶりに祖国の土を踏むこととなった。フランスでは英雄として迎えられ、1871年2月にはセーヌ県より立候補して当選し、議会の置かれたボルドーへと向かったが、ユーゴーの属した左派は少数派に過ぎず、3月8日にはアルジェリアから立候補して当選していたジュゼッペ・ガリバルディの当選無効に抗議して議員を辞職した[2]。1872年1月には再び議会に立候補するものの落選した[11] が、1876年1月には元老院議員に立候補して当選した[12]。その後も1877年には「諸世紀の伝説」の第2部を発表するなど活発な活動を続けた[13]。なお、日本の自由党総理・板垣退助が、1882年から1883年にかけてのフランス、イギリス・オランダ視察の際、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・クレマンソーらと交流したとする記録がある[14]。 1885年5月22日、パリにて死去。83歳没。国葬でもって葬られ[15]、文豪としてパンテオンへと埋葬された。 主要な作品は小説や、膨大な詩である。 年邦題原題
帰国
作品の一覧1853年レオン・ボナ画(1879年)1883年
1822年オードと雑詠集