ヴィクトル・ユーゴー
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それが、のちにフランス文学史上屈指の名作といわれるようになる『レ・ミゼラブル(邦題:あゝ無情)』(当時の題名は『レ・ミゼール』[注 29])の執筆である。執筆は1845年11月17日から始まった。この作品を書くきっかけになった大きな理由には諸説あり、当時新聞に載っていた小説が彼の心を強く惹きつけたとも、少年時代に見てしまったギロチンの光景が彼を人道主義者にし、この作品を書かせたとも言われている。
政治活動

1845年4月13日、オルレアン公爵夫人エレーヌの後ろ盾があったおかげで、ルイ・フィリップから子爵の位を授けられた。貴族になったことで政治活動にも身を置くようになった彼は、翌年の1846年3月19日の貴族院にてポーランドに関する政治演説を行う。

だが、1848年2月の二月革命で、ルイ・フィリップはイギリス亡命する。ユーゴーはあくまで、幼いパリ伯(オルレアン公フェルディナン・フィリップの遺児でルイ・フィリップの嫡孫)を即位させ、母エレーヌを摂政にすべきだと考えていたが、それを望まぬ者もいた。結局、フランスは第二共和政へ移行することとなる。ユーゴーは同年5月の立憲議会の補欠選挙に立候補して、保守派の支持を受けて当選した[5]。政治家としてのユーゴーは1830年代より続けていた死刑廃止運動や、教育改革、社会福祉などを主張した。1848年には共和派となり、1848年12月10日の大統領選挙ではルイ・ナポレオンを支持し、強力な論陣を張って彼を支援した。しかしナポレオンは次第に独裁化し、連続再選禁止条項の改正を国民議会に提出するなどして、このころにはユーゴーはナポレオンの強力な反対者となっていた。ナポレオンは1851年12月2日にクーデターを起こして独裁体制を樹立し、反対派への弾圧を開始した。ユーゴーも弾圧対象となり、12月11日ベルギーへと亡命を余儀なくされる[6]。以後19年に及ぶ亡命生活の始まりであった。
亡命期詳細は「ヴィクトル・ユゴーの亡命(フランス語版)」を参照

ベルギーの首都ブリュッセルに落ち着いたユーゴーは、さっそくナポレオンへの批判を開始した。1852年8月にはブリュッセルでナポレオン3世を弾劾した「小ナポレオン」を出版した。これは1843年の戯曲『城主』の失敗以来10年ぶりの新作であり、以降ユーゴーは再び精力的に執筆を再開する。「小ナポレオン」は熱狂を引き起こしたが、フランスからベルギーへの圧力を恐れたユーゴーは出版の前日に英仏海峡に浮かぶイギリスチャネル諸島ジャージー島へと移住し[7]1855年までここに住むこととなった。ここでは1853年に、やはりナポレオン弾劾の書である「懲罰詩集」を発表している。1855年には隣の島であるガーンジー島に移住し、1870年にフランスに帰還するまでの間15年間ここで過ごした。ガーンジー在住中には、1856年に「静観詩集」、1859年には「諸世紀の伝説」の第1部、そして1862年には中断していた『レ・ミゼラブル』が完成してベルギーより出版され、大反響を巻き起こした。「レ・ミゼラブル」の成功は、彼に莫大な収入をもたらした[8]
最短の電報

『レ・ミゼラブル』が出版された直後、海外旅行に出かけたユーゴーはその売れ行きが心配で、出版社に一文字「?」と書いただけの電報を送ると、その後出版社から「!」とだけ書かれた返信が届いた。「上々の売れ行きです!」というわけである。事実数日で完売・売切れの状態であったという。これは世界で最も短い手紙として『ギネス世界記録』に掲載されている[9][要検証ノート][10]
帰国

1870年に勃発した普仏戦争はフランスの大敗北に終わり、セダンの戦いプロイセン王国の捕虜となったナポレオン3世は失脚した。これによってユーゴーは帰国を決意し、19年ぶりに祖国の土を踏むこととなった。フランスでは英雄として迎えられ、1871年2月にはセーヌ県より立候補して当選し、議会の置かれたボルドーへと向かったが、ユーゴーの属した左派は少数派に過ぎず、3月8日にはアルジェリアから立候補して当選していたジュゼッペ・ガリバルディの当選無効に抗議して議員を辞職した[2]。1872年1月には再び議会に立候補するものの落選した[11] が、1876年1月には元老院議員に立候補して当選した[12]。その後も1877年には「諸世紀の伝説」の第2部を発表するなど活発な活動を続けた[13]。なお、日本の自由党総理・板垣退助が、1882年から1883年にかけてのフランス、イギリス・オランダ視察の際、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・クレマンソーらと交流したとする記録がある[14]

1885年5月22日パリにて死去。83歳没。国葬でもって葬られ[15]、文豪としてパンテオンへと埋葬された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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