また、1996年のフィンランド訪問を皮切りに、2001年の日本への訪問とアメリカで催されたノーベル賞制定100周年記念式典への参加など、海外への訪問も積極的に行っている。アメリカやスペインなど欧米諸国だけではなく、ウガンダやエチオピア、エジプト、サウジアラビア、バングラデシュ、スリランカなどアジア・アフリカ諸国へも訪れ、2002年にはコソボの難民キャンプを視察した。
日本へは、2005年4月に2度目の訪問を果たし、愛知万博を視察したほか、憲仁親王妃久子とともにIKEA港北店の建設予定地を視察し、天皇・皇后・皇太子・紀宮清子内親王とも会談した。他にも、同年6月にはスウェーデン王族としては1934年以来71年振りとなるトルコへの公式訪問を果たし、スルタンアフメト・モスクやトプカプ宮殿、アヤソフィアなどを視察したほか、9月には中国へも訪問した。
2006年3月にはブラジルを訪問し、ボルボ・オーシャンレースを観戦したほか、母シルヴィア王妃が設立した世界子供基金によって運営されている集団住宅を視察した。同年12月にはフランスを訪問し、ホセ・アンヘル・グリアOECD事務総長と会談した。
2019年10月、父王とともに天皇・徳仁の即位礼正殿の儀に参列した[3]。
私生活2013年6月、マデレーン王女の成婚時の一家。
これまで、皇太子が私生活を語ることは余り無かったが、確認されているだけで、過去に2人の男性との交際が報じられた。
1人目は、同じ高校のサークルで知り合ったダニエル・コラートであり、1998年の皇太子のアメリカ留学にも同行してニューヨークに定住した程の関係で、皇太子自身も2000年9月のハノーヴァー万国博覧会時のインタビューで正式に交際を認めたが、翌2001年に破局した。
2002年5月には、大衆紙によって新しい恋人であるダニエル・ベストリングとの交際が報じられ、7月には皇太子の友人の誕生パーティーの席上で、2人がキスを交わす場面が撮影された。2009年2月24日に正式に婚約を発表し、2010年6月19日にストックホルム大聖堂にて挙式が行われた。日本からは皇太子徳仁親王が出席している。
2011年8月18日、第1子懐妊が報じられた。生まれる子は男女を問わず、スウェーデン王位継承権第2位となる。2012年2月23日早朝、ストックホルム郊外のカロリンスカ病院で長女となるエステル王女を出産した[4]。
2015年9月4日、翌年3月に第2子を出産予定であることが発表された。2016年3月2日、長男となるオスカル王子を出産した。
また、皇太子自身は2017年現在で、ノルウェー王女イングリッド・アレクサンドラ、オランダ王女カタリナ=アマリア、デンマーク王子クリスチャン、ベルギー王女エレオノール、ギリシャ王子コンスタンティノス・アレクシオスの代母となっている。 軽度のディスレクシアを持っていることを母親であるシルヴィアがテレビ番組で公表している。 また皇太子としての公的活動を始めて間もない1996年頃から食欲不振に悩まされるようになり、翌1997年4月に痩せこけた皇太子の姿がマスコミで報道されたことにより、予定されていたウプサラ大学への入学が取り止めになった。同年11月に王室が皇太子が拒食症を患っていることを正式に認め、翌1998年に上述のイェール大学留学と治療を兼ねてアメリカへ渡ることとなった。 1999年6月のテレビ番組のインタビューにおいて、同病を克服したことを表明し、以来この病気の予防や対策に携わる活動にも熱心に取り組んでいる。なお、ヴィクトリアは、この拒食症の結果、落ちた筋肉を取り戻すためにスウェーデン帰国後にスポーツジムに通うことになるが、その時の担当トレーナーが現在の夫ダニエル・ベストリングであった。
精神疾患の克服
脚注^ 益川敏英は、ノーベル賞授賞式の晩餐会で自分の席の向かいがヴィクトリア皇太子だったことを、帰国後のインタビューで言及している。
^ 天野浩はノーベル賞授賞式の晩餐会で隣りに座ったヴィクトリア皇太子と青色LEDについての話をしたことをインタビューで述べている。
^ The King and The Crown Princess attend the imperial enthronement in Japan
^ Ohlin, Pia (2012年2月24日). “スウェーデンのビクトリア王女が女児出産、首都で祝砲”. AFPBB News. 2012年2月24日閲覧。
外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ヴィクトリア (スウェーデン皇太子)に関連するメディアがあります。
The Royal Court's official biography in ⇒Swedish and ⇒English
⇒The Royal Court's press release about the Diplomat Program
Radiohjalpen's official website for The Crown Princess Victoria Fund
Royal House of Sweden
⇒皇太子ヴィクトリア王女 - AFPBB News
上位
-
本項人物が最上位 スウェーデン王位継承権者
継承順位第1位下位
エステル王女
エステルイェートランド公爵
上位
ユリアン王子
ハッランド公爵 イギリス王位継承順位
他の英連邦王国の王位継承権も同様下位
エステル王女
エステルイェートランド公爵
表
話
編
歴
世界の法定推定相続人
アフリカ
王子レロソリ・セーイソ(英語版)
王太子ムーレイ・ハサン
該当なし(選挙制)
アジア