ヴァレンヌ事件
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フランス革命の先行きを憂慮していた開明派貴族たち、特に立憲王政派のミラボー[注 1]は、国王がパリを脱出し、急進的なパリ民衆の影響下にある国民議会を解散して、地方の支持を背景にして国王の直接統治を行うべきであると進言していたが、ルイ16世本人が「王たるものは国民から逃げ出すものではない」として頑として反対し、実現しないでいた。これには十月行進以来、国王がその守護者となることを誓ったラファイエットに信頼を寄せていたことも一因で、彼はミラボーの政敵であった。しかし革命の進展とともにラファイエットの権力は日増しに弱まり、約束が反故にされ、改革によって様々な権限が奪われていくことに国王は不満を強めていった。

1790年10月20日、大臣非難決議と新大臣任命に関するラファイエットの表裏ある態度に、ルイ16世は激怒し、憲法に規定された自由任免権すら侵されたとして彼を見限って、思い切って反革命に転じることにした。国王はすぐに王党派であるパミエル・ダグー司教とルイ=シャルル=オーギュスト・ル・トノリエ・ド・ブルトゥイユ男爵 (Louis Auguste Le Tonnelier de Breteuil) を呼び寄せ、王の代理として諸外国と交渉する全権を密かに与えた。12月27日、聖職者に革命の諸法への宣誓を強制する法律に署名を強いられた際には、不本意な国王は「こんな有様でフランス王として残るなら、メッス市の王になったほうがましだ。だが、もうじきこれも終わる」と述べ、何らかの計画があることを暗に漏らした。

ルイ16世は、王弟アルトワ伯や亡命貴族が行っていた地方での反乱蜂起の扇動などには賛成せず、彼らの愚かさを非難したが、一方で、ブルトゥイユ男爵が必死に諸外国を説得に回り、結成を目指していた神聖王政連盟に対しては密かに期待していた。しかし具体的に支援を約束したのは王権神授説を信じるスウェーデン王グスタフ3世だけで、イギリスは植民地の譲渡などを条件に中立を約束したが、ローマ教皇の宗教上の支援はあまり効果がなかった。特に痛手であったのは、王妃マリー・アントワネットの実兄である神聖ローマ皇帝レオポルト2世が、ポーランドやオスマン帝国の情勢を鑑みて、計画に懐疑的態度を取ったことであった。彼は口実をつけて交渉を引き延ばし、これにより無為に8か月間が経過したため、その途中12月にはマラーの「人民の友」紙などのパリの革命派新聞が国王側の不穏な陰謀の気配を嗅ぎつけてしまい、1791年1月30日にはデュボワ・クランセが国王の計画をジャコバン派に暴露してしまった。

国王が逃亡するという噂は、計画が事実であっただけに、深刻なものであった。議会は国境の警備を強化して、王族の監視も強化した。しかしルイ16世は、反カトリック的な法律ができたこともあるが、挑発するかのように、先だって叔母にあたるアデライード王女(修道女)とヴィクトワール王女を出国させ、ローマに行かせた。2王女の出国事件はすぐに問題となり、彼女たちは途中で2度も捕まった。これはちょうど亡命禁止法を議会で審議していた時期の出来事であったが、ミラボーの人権を擁護する主張により、この法案は退けられ、議会は特別命令を出して出国を許した。しかし一方で議会は「王の逃亡は退位とみなす」と宣言して警告し、王妃が駐仏オーストリア大使フロリモン=クロード・ド・メルシー=アルジェントー伯爵と交わしていた書簡を調査してその不穏当な内容を問題視し、摂政職から女性を排除する法案を可決させた。

1791年4月2日、ミラボーが急死。ミラボーはルイ16世が信頼していた唯一の人物であったこともあり、ますます面従腹背の態度を強め、後任者[注 2]に対しては誰にも腹の中は見せず、それに伴い王妃の国王に対する発言力が増していった[注 3]。三頭派やバルナーヴがブルジョワ的政策を進めて、議会と民衆との軋轢が顕著になると、国王は反革命のチャンスであると思ったが、レオポルド2世との交渉は全く進んでいなかった。ところが、4月18日に事件が起こった。この日、国王一家は復活祭ミサを行うためにサン=クルー宮殿へ行幸しようとしたが、民衆はこれを国王が逃亡するものと思いこんで、テュイルリー宮殿の門を人垣で塞いで馬車の行く手を妨害した。ラファイエットは群衆を解散させることができずに、国王一家を守るべき国民衛兵隊も、行幸が中止と発表されるまで妨害を止めなかった。マリー・アントワネットは「これで私たちが自由でないことは認めざるを得ないでしょう」と言い、国王一家は自分たちが実際には囚人であることを確認した。最初は乗り気でなかったルイ16世も真剣に脱出計画に耳を傾けるようになった。
計画

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