ヴァルナ_(ブルガリア)
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商業用の不動産ではメジャーな国際的なオフィスタワー計画の開発をしている。[17][18][19]

小売りにおいては国際的に大きな小売店を集めているだけでなく[20]、ヴァルナ発祥を誇るチェーン店がブルガリアの大きな都市に点在しておりスーパーマーケットチェーンのピカデリースーパー(英語版)やレストランチェーンのハッピー、薬局チェーンのサニタなどがある。2008年には3つの大きなショッピングモールが営業しており、さらに4つの様々な段階の計画がありヴァルナは国際的に魅力的なショッピングの目的地へと転換させている[21]

ヴァルナの経済はブルガリアの中でも好調であり急成長が続いており2007年の失業率は2.34%とブルガリア国内平均の三分の一の低さで賃金の中間値はソフィアやブルガス並みに高い。[22]多くのブルガリア人はヴァルナを好況にわく町と見なしており、なかにはソフィアやプロヴディフから移住したり、または西側諸国から戻って来る者もいる。しかし、ほとんどはドブリチやシュメンなどの近隣地域からヴァルナへ移って来ている。

2004年9月のFinancial Times Business Ltd publicationが出版するビジネス誌FDi magazineは戦略的な地理や急成長する経済、豊かな文化遺産、高い教育水準などからヴァルナを南東ヨーロッパで将来性がある都市と公言している[23] 。また2007年4月には スタンダード&プアーズはヴァルナの格付けを引き上げている。[16]2007年12月と2008年10月にヴァルナはブルガリアで一番生活するのに適した都市に選ばれている。[24]
統計

最初の人口の資料は17世紀半ばに遡り、当時の町の人口は4,000人程度であったと考えられる。[25] その後、1878年にトルコから解放されると1881年に最初の人口統計調査が行われ24,555人を数え[26]、これは当時のブルガリア公国ではルセの26,156人に次ぐ2番目の規模であった。ブルガリアの統一(英語版)により、ヴァルナはブルガリアで3番目に大きな都市となった。このポジションは首位や4位の都市が入れ替わる中120年間維持されている。

2006年12月以来、ブルガリア国営テレビ(英語版)、国営新聞、調査会社、首長府、地元警察など様々な情報筋からヴァルナの人口は50万人を超え、現在ブルガリアでは2番目に大きな都市であると言われている。[27][28]しかしながら、公式の統計であるGRAOや NSIはこの宣言は裏付けていない。

2008年に副市長ヴェネリン・ゼチェフ(Venelin Zhechev)は実際の人口は650,000人と推計している。[29]2008年12月に市長のキリル・ヨルダノフ(英語版)は実際の常住人口は970,000人[30]であるとし、そのうちの60%は住民登録されていない人々である。2009年1月にフィナンシャル・タイムズは現在ヴァルナには毎年約3万人の新しい住民を引き寄せていると述べている。[31]

今日、ヴァルナ市の人口は334,870人でブルガリアでは3番目に大きな都市である。基礎自治体全体では343,704人、都市圏人口(ヴァルナ自治体、隣接するアクサコフォ、アヴレン、ベロスラフ、デヴニャ自治体。隣接するドブリチ州の部分は除く。)は公式の推計人口は475,000人[32] である。ここではヴァルナ=デヴニャ=プロヴァディヤアグロメーションはヴァルナ都市圏と同一とは見なされていない。ヴァルナはブルガリアでは数少ない人口の自然増を誇っており(2009年は出生数6,300に対して死亡数3,600[33])、新しい小児医療センターが開かれている。[34]

1887191019341946195619651975198519922001200520092011出典
25,25641,41969,56376,954120,345180,633253,039302,816308,601312,889312,026320,837334,870[2][35][36][37][38][39]

民族構成

ヴァルナで多数派を占める民族はブルガリア人でヴァルナ自治体では92.5%を占めている。[40]トルコ人は伝統的に2番目の位置を占め、2009年には自治体人口の3.8%を占めている。ロシア人や他の最近のロシア語話者の移民は20,000人を超え、おそらくそれ以上に多い。それに匹敵する数のロマがおり、そのほとんどがマクスダ、ロゾヴォ、ドリナのアスパルホヴォの3つの貧しい地区やチェンゲネ・クラ、ヴラディスラヴォヴォの地区に住んでいる。ヴァルナではいくつかのロマの差別撤廃のプログラムを率先している。アルメニア人やギリシャ人、ユダヤ人、他の昔から居る民族は現在でもはるかに少ない人口で存在し、これに近年新たにアジア系やアフリカ系の移民や企業の駐在員が増加している。
行政

ヴァルナ基礎自治体(Община Варнаはヴァルナ市と5つの郊外の町村(カメナルКаменар・カザシュコ Казашко・コンスタンティノヴォ Константиново・トポリ Тополи・ズヴェズディツァЗвездица)に分かれており、公共交通機関の運営も行われている。ヴァルナは地域の司法機関の中心でもある。[41]
市長

基礎自治体の首長は市長(кмет)である。共産党により一党独裁時代が終わった1990年以降、ヴァルナは3人の市長が担って来た。1990-91年が民主勢力同盟(SDS)のヴォイノ・ヴォイノフ(Voyno Voynov)、1991-1999年がSDSのヒリスト・キルツェフ(Hristo Kirchev)、1999年から現在まではSDSのキリル・ヨルダノフが就いている。ヨルダノフは2007年に再選され現在3期目である。[42]
政治

2009年1月現在の市議会(общински съвет)は51議席で、中道左派のブルガリア社会党(BSP)が9議席、中道右派のヨーロッパ発展のためのブルガリア市民(GERB)が9議席、Dvizhenie Nashiyat Grad(市長を支持する地元グループ)が6議席、Red, Zakonnost i Spravedlivost「秩序、法の支配、司法」が5議席、権利と自由運動(DPS)が4議席、民主勢力同盟と強いブルガリア民主党(英語版)(DSB)、と他の中道右派政党の3議席の連立、他のグループや無所属が15席を占める。ブルガリア社会党のボリスラフ・グツァノフが議長である。[43]

ヴァルナで大きな政党はBSP、GERB、SDS、安定と進歩のための国民運動(英語版)(NDSV) 、これら4政党以外にDSB、ブルガリア民主党、内部マケドニア革命組織(IMRO, VMRO)、アタカ国民連合なども活動している。SDSは2009年に地元リーダーの息子の学生が若い女性に対して残忍な殺人を犯したことによって打撃を受けている。地元の経済界は全国的な傾向を背景に最近の地方選のために政党を組織している。
領事館

ヴァルナにはチェコ、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、マルタ、ポーランド、ロシア、スロバキア、スウェーデン、ウクライナ、イギリスなど欧州各国の領事館が置かれている。[44]
行政区

ヴァルナ基礎自治体(Община Варна)の域内には6つの町村(集落)がある。また、ヴァルナは5つの区に分かれている。区(ラヨン、Район (градско подразделение) / rayon)は基礎自治体(Община / Obshtina)より更に下位の行政区分である。町村(град、село)は集落自然村)のことであり、行政単位ではない。アスパルホヴォムラドストオデソス(歴史的な中心地)、プリモルスキ(行政区では最大の人口102,000人でリゾート地を含み市北部の中心)、ヴラディスラフ・ヴァルネンチクにそれぞれ分かれておりこれらの地区にも様々な地域があり独特な特徴や歴史が含まれている。[45]村落には村長か代理官(кметски наместник)などが置かれている。
ヴァルナ行政区や地域

地区キリル文字行政区人口
ヴラディスラフ・ヴァルネンチクВладислав Варненчикヴラディスラフ・ヴァルネンチク48,740
Kaisieva GradinaКайсиева Градинаヴラディスラフ・ヴァルネンチク48,740


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