ヴァルナ_(ブルガリア)
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この結果、ギリシャの国民運動に参加した地元の著名人はオスマン当局により処刑され、その間に他の者はギリシャに逃れ闘争を続けた。[11]

イギリスとフランスのロシアに対する軍事行動であるクリミア戦争(1854-1856)ではヴァルナは司令部や主要な海軍基地として使われ、多くの兵士がコレラで死亡し街は大火による破壊も経験している。イギリスとフランスの記念碑はコレラの犠牲者が埋葬された墓地に印されている。1866年、ブルガリア初の鉄道がヴァルナとドナウ畔のルセとを結びオスマンの首都であるコンスタンティノープルと中央ヨーロッパが結ばれることになった。その数年後にオリエントエクスプレスがこのルートを走るようになった。ヴァルナ港は主要な食糧供給とくに隣接する穀倉地帯である南ドブロジャからの小麦の供給とコンスタンティノープルや他の欧州の首都からの輸入の忙しいハブとして開発が進んだ。12の外国の領事館がヴァルナには開かれている。地元のブルガリア人はブルガリア再生運動(英語版)に参加し、ヴァシル・レフスキは秘密革命委員会を設置した。
現代まで1897年のヴァルナ市街の地図

1878年にブルガリアはオスマン帝国から解放され、当時街の人口は2万6千人でベルリン条約によりブルガリアへ譲渡された。ロシアの軍隊が7月27日に入城している。ヴァルナはその後、第一次バルカン戦争第一次世界大戦の前線都市となり、経済は悪い状況となり一時的(1913-1916、1919-1940)に農業の後背地である南ドブロジャからルーマニアは損失の影響を受けた。解放後の最初の数十年でほとんどのトルコ人やギリシャ人は街を出て行き、ブルガリア人が内陸やドブロジャ北部、ベッサラビア小アジア、その後マケドニアやトラキア東部、ドブロジャ南部から難民がやって来ており、続く第二次バルカン戦争第一次世界大戦では民族の多様性はブルガリア人が多い状況になったものの、かなりの少数民族であるガガウズ人アルメニア人セファルディムの人々はその後数十年間残っている。

第二次世界大戦では、1941年3月1日にブルガリアが三国同盟に加盟した直後から、ナチス・ドイツ軍の機械化師団が市内に進駐した。この頃のヴァルナは人口約6万人を擁する輸出入の玄関口であり、軍事的にも海軍基地と飛行場がある要衝であった[12]。枢軸国の劣勢が明らかになった1944年9月には赤軍が街を進駐し、ブルガリアで共産主義統治を確かなものにするのを助けている。

ヴァルナは初期の産業開発やブルガリア労働運動の中心で、ブルガリアでの重要な輸出港が設けられ主要な穀物産出やブドウ栽培)の中心で首都ソフィア以外ではブルガリア国内で最古の高等教育機関の本拠が置かれている。また、国際的な祭典やイベントが多く行われ夏の離宮であるエフクシヌグラート(英語版)は今でも残り、ブルガリア政府の迎賓館や夏の演奏会などに使われている。ヴァルナが現代のような大規模な観光地として姿を現すようになるのは1950年代後半のことである。重工業や貿易のソ連のブームは1950年代から1970年代にかけて続いた。

1949年12月20日から1956年10月20日にかけてヴァルナの街の名称は共産主義政府によりソビエトの独裁者であったヨシフ・スターリンにちなみスターリンに改名されていた。[13]1962年には第15回のチェス・オリンピアードが開かれている。1969年と1987年には新体操の世界チャンピオンシップの主催となった。1973年9月30日から10月4日にかけてはスポーツ宮殿においてオリンピックコングレスが開催されている。2019年にヴァルナは欧州文化首都になる。
経済ヴァルナのビーチクルーズ船ターミナルやマリーナに転換予定のヴァルナ港東部トルシェヴォ地区の新しいショッピングセンター

ヴァルナの経済はサービス産業を基盤とし61%の収益は商取引や観光から得ており、14%は製造業や交通、通信、6%は建設業によるものである。[14]金融業でもとくに銀行業や保険、投資マネージメント、不動産金融がブームとなっている。2008年12月時点での世界金融危機による景気後退は軽微であった。ヴァルナは汎ヨーロッパ交通回廊8号線の東端に位置しており、ルセを経由して7号線や9号線と接続している。伝統的な主力産業は物流・輸送に関するものであり、ヴァルナ港やヴァルナ国際空港、ナヴィブルガル(英語版)のような古い商船会社や物流基地「ロジスティクス・パーク」[15]などがある。また造船や船舶の修繕など海洋に関する産業が発展しており、スウェーデンを基盤とするオーシャニック・クリエーションズ(英語版)などの造船所が立地する。

2007年6月にEniガスプロムによってサウス・ストリームのプロジェクトが公表されたが、この計画では900 km (559 mi)の天然ガスのパイプラインによってロシアのジューブガ(英語版)から年間容量630億立方メートルがヴァルナへ送られ、近海のガラタ沖のガス田からさらにイタリアやオーストリアへと送られる。近隣の町であるベロスラフデヴニャとヴァルナはヴァルナ・デヴニャ工業団地(英語版)を構成しブルガリアでも最大の化学工場や火力発電所、製造設備を有する。その中にはヴァルナ火力発電所やSodi Devnyaが含まれており、これらは民主化以降のブルガリアの歴史上、最大級の民営化案件であった。また、電波航法機器や家電、セキュリティシステム、織物、服飾、飲料や食品、印刷などの工場が注目される。一部の使われなくなった工場施設は再開発され、以前のVAMOディーゼルエンジン工場はECEショッピングモールになり、ヴァルナビール醸造所はコンベンションセンターに置き換わった。

観光はヴァルナにとってもっとも重要な産業であり郊外の海辺のリゾートであるゴールデン・サンズ(Златни пясъци, Zlatni pyasatsi)やホリデークラブ・リビエラ、サニーデイ、聖コンスタンティン・エレナ(英語版)や他のリゾート地を合わせた宿泊受け入れ可能数は2005年現在60,000ベッドで毎年数百万人もの人が訪れる。2006年には474万人が訪れそのうち399万人は国外からであった。[16]リゾート地が国内外からかなり多くの投資を受けるようになったのは1990年代後半から21世紀に入ってからであり、環境的には適切で化学工場や他の重工業地帯からは離れた場所に位置している。ヴァルナはブルガリアでは唯一、国際的なクルーズ船の寄港地で2007年には30のクルーズ船の寄港が予定されていた。またメジャーな国際的なコンベンションやスパの中心である。2003-2008年の不動産ブームによってブルガリア国内では一番高い価格となり2007年秋には首都ソフィアを上回り、2009年4月現在でも保っていた。商業用の不動産ではメジャーな国際的なオフィスタワー計画の開発をしている。[17][18][19]

小売りにおいては国際的に大きな小売店を集めているだけでなく[20]、ヴァルナ発祥を誇るチェーン店がブルガリアの大きな都市に点在しておりスーパーマーケットチェーンのピカデリースーパー(英語版)やレストランチェーンのハッピー、薬局チェーンのサニタなどがある。2008年には3つの大きなショッピングモールが営業しており、さらに4つの様々な段階の計画がありヴァルナは国際的に魅力的なショッピングの目的地へと転換させている[21]

ヴァルナの経済はブルガリアの中でも好調であり急成長が続いており2007年の失業率は2.34%とブルガリア国内平均の三分の一の低さで賃金の中間値はソフィアやブルガス並みに高い。[22]多くのブルガリア人はヴァルナを好況にわく町と見なしており、なかにはソフィアやプロヴディフから移住したり、または西側諸国から戻って来る者もいる。しかし、ほとんどはドブリチやシュメンなどの近隣地域からヴァルナへ移って来ている。

2004年9月のFinancial Times Business Ltd publicationが出版するビジネス誌FDi magazineは戦略的な地理や急成長する経済、豊かな文化遺産、高い教育水準などからヴァルナを南東ヨーロッパで将来性がある都市と公言している[23] 。また2007年4月には スタンダード&プアーズはヴァルナの格付けを引き上げている。[16]2007年12月と2008年10月にヴァルナはブルガリアで一番生活するのに適した都市に選ばれている。[24]
統計

最初の人口の資料は17世紀半ばに遡り、当時の町の人口は4,000人程度であったと考えられる。[25] その後、1878年にトルコから解放されると1881年に最初の人口統計調査が行われ24,555人を数え[26]、これは当時のブルガリア公国ではルセの26,156人に次ぐ2番目の規模であった。ブルガリアの統一(英語版)により、ヴァルナはブルガリアで3番目に大きな都市となった。このポジションは首位や4位の都市が入れ替わる中120年間維持されている。

2006年12月以来、ブルガリア国営テレビ(英語版)、国営新聞、調査会社、首長府、地元警察など様々な情報筋からヴァルナの人口は50万人を超え、現在ブルガリアでは2番目に大きな都市であると言われている。[27][28]しかしながら、公式の統計であるGRAOや NSIはこの宣言は裏付けていない。


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