ヴァルター・フォン・ライヒェナウ
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翌年砲兵大将に昇進し、ライプツィヒ の軍集団司令部の司令官となった。また第10軍の司令官として、彼はズデーテン地方の侵略に関与し、後に「チェコ共和国の他の地域の破壊」に関与しました。

1938年には第4軍司令官に任命され、ズデーテン地方の併合作戦に従事した。同年に起きたブロンベルク罷免事件では、退任するブロンベルクの推薦でフリッチュに代わる陸軍総司令官候補の一人にあげられたが、ライヒェナウがあまりにナチスに近すぎることを懸念したルートヴィヒ・ベック将軍やゲルト・フォン・ルントシュテット将軍が反対したため、陸軍総司令官就任は流れた。

ヒトラーと出会った1931年以来、彼の崇拝者の1人であったライヒェナウは、国軍の国家社会主義化を他のどの軍幹部よりも推し進めていた。そのため、歴史家は彼を「政治家将軍」とも呼称する。彼は「国家社会主義ドイツ国防軍」を公に告白し、兵士に国家社会主義の世界観を植え付けた。だが、ライヒェナウ自身は国家社会主義者でなく、ナチス体制下のドイツにおいて高い地位を確保することか目的であった。

1939年9月、ドイツによるポーランド侵攻で第二次世界大戦が始まるが、この作戦でライヒェナウは第10軍を指揮、騎士鉄十字章を授与され、作戦終了後上級大将に昇進。

翌年5月の西方電撃戦には第6軍司令官として参加し、ベルギーを降伏させた。フランス降伏後の7月に戦功を賞され元帥に列せられる。

1941年に始まる独ソ戦にも参加、同じく第6軍を率いた。第6軍司令部を訪問したヒトラーと会食するライヒェナウ(1941年9月27日、ウクライナ)

ライヒェナウは勇猛な前線司令官であると同時に、熱心・忠実なナチス党員でもあり、独ソ戦の期間中にユダヤ人などに対する大量虐殺の命令を度々下している。これはSS特別行動隊ゾンダーコマンド4aの司令官パウル・ブローベルとの協力で行われたものであり、親衛隊とは別組織であるドイツ国防軍が戦争犯罪に手を染めていた実例とされている。1941年8月22日、ビーラ・ツェールクヴァで延期されていたユダヤ人の子供90人に対する処刑を指令。同年9月末にはバビ・ヤールにおいて2日間でユダヤ人3万人が処刑された。さらに10月10日、ユダヤ人虐殺を命じるいわゆる「ライヒェナウ指令(英語版)」を第6軍に下達。その指令にいう。「東方に従軍する兵士は、戦術によって戦う戦士であるのみならず、呵責のない民族主義思想の保持者、ドイツ民族に仇なす邪魔者に対する復讐者たらねばならない。それゆえ兵士はユダヤ人という劣等民族に対する容赦のない、しかし正当な処置に関する完全な理解を心がけるべきである。この処置はまた、国防軍の背後で謀反を企む者たちの芽を摘み取るという目的ももっている」

ヒトラーはこの「ライヒェナウ指令」を絶賛し、東部戦線の全ての軍司令官にこの指令に倣うよう下達した。

バルバロッサ作戦開始以来、ライヒェナウは南方軍集団の第6軍司令官を務めていた。彼は1941年9月のキエフの戦いに参戦。ヒトラーのお気に入りとなったライヒェナウは、逆に不興を買っていたゲルト・フォン・ルントシュテットに代わって1941年12月1日に南方軍集団司令官に任命された。彼の後任の第6軍司令官には参謀長のフリードリヒ・パウルスであった。しかし南方軍集団司令官に任命されて直後の1942年1月12日、零下20℃の森の中を歩いた後にライヒェナウは心臓発作で倒れ、ドイツでの治療のため飛行機で後送されたが、途中のレンベルクで乗機が着陸に失敗し重傷を負った。さらにライプツィヒまで空輸されたが、到着したときには既に死亡していた。ベルリンの軍人墓地に埋葬された。
キャリア
階級

1914年、大尉

1924年、少佐

1929年、中佐

1932年2月1日、大佐

1934年、少将

1935年10月1日、中将

1936年、砲兵大将

1939年10月1日、上級大将

1940年7月19日、元帥

脚注^ ライヘナウと表記されることもある。
^ 黒川康 1970, pp. 25.
^ 黒川康 1970, pp. 30?31.
^ 田嶋信雄 1987, pp. 129?130.

参考文献

黒川康「ドイツ国防軍と「レーム事件」--第1次世界大戦後のドイツ再軍備構想に関する一考察」『人文科学論集』第5巻、目白大学、1970年、p19-31、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}NAID 120002753885。


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