ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション
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ハイパーインフレーション期にドイツ帝国銀行で保管されている流通前のノートゲルト(緊急通貨)紙幣の束

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ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション(ヴァイマルきょうわせいのハイパーインフレーション)は、1921年から1923年にかけて、あるいは特に1923年に発生した、ヴァイマル共和政ドイツ通貨パピエルマルクの価値の暴落(ハイパーインフレーション)。第一次世界大戦の巨額の戦費の負担と、敗戦により課された巨額の賠償により、通貨が乱発されて価値が大幅に下落し、ドイツ民衆の生活を苦しめることになった。
背景
戦前から戦中の通貨制度

第一次世界大戦の時期に、ドイツ帝国には一般的に使われることがある支払手段として5種類のものがあった。ドイツ帝国銀行(ライヒスバンク)の銀行券、帝国金庫券(ドイツ語版)、私立発券銀行券、鋳造貨幣(いわゆる小銭)、貸付金庫券(ドイツ語版)である[1]

帝国銀行券は、普仏戦争の結果としてフランスから得た50億金フランの賠償金を基礎として、1873年に金本位制を確立し、1875年にドイツ帝国銀行が発足してその翌年から発行が開始されたマルク紙幣である。金1キログラム=2790マルク(金0.358グラム=1マルク)とされ、発行額の3分の1に相当する金地金、帝国金庫券、外貨を発券保証準備金として備えることを義務付けられており、さらに残額の3分の2に対しては3か月以内に満期となる複数の確実な支払い義務者のある手形や小切手などを保有することが義務付けられていた。また保証準備以上に2億5000万マルクを超えて発券する場合には5パーセントの紙幣税を国庫に納める義務があった。これらの条件によりマルクの発行は厳しく制限されていた[1]。この金と結びつけられたマルク紙幣を金マルクと呼ぶ[2]

帝国金庫券は、金本位制確立以前に政府が発行していた紙幣を回収する目的で、普仏戦争の賠償金の一部を用いて発足した帝国金庫が発行する紙幣である。私立発券銀行券は、ドイツ帝国発足以前の各領邦が有していた発券銀行に由来する私立発券銀行(ドイツ語版)が発行している紙幣である。ドイツ帝国銀行発足時点では私立発券銀行が32行あったが、大戦勃発前年の1913年時点ではバイエルンザクセンヴュルテンベルクバーデンの4つの私立発券銀行のみとなっており、帝国銀行券とほぼ同じ金本位制であった[3]

貸付金庫券は第一次世界大戦突入に伴って設立された貸付金庫の発行するもので[4]、後述する。このほか、小額の紙幣や鋳造貨幣の不足を補うために財務大臣の認可の下で地方自治体や企業に発行を認められていた緊急通貨「ノートゲルト」というものも存在した[5]。またマルクが通貨としての機能を喪失した時期には、米ドルやイギリスのポンドスイス・フランなどの外国通貨もドイツ国内で用いられた[6]
戦費の負担問題

第一次世界大戦勃発の前年である1913年度には、ドイツ帝国の財政支出額は35億2000万マルクであったが、戦争勃発後は激増の一途をたどり、休戦となった1918年度の財政支出額は455億1000万マルクであった。この間、歳入も増加したものの歳出の増加には到底追いつかない状況であり、巨額の国債発行によって戦費を賄わなければならなかった[7]

もともとドイツ帝国は歴史的な経緯から、構成する各領邦(ラント)の権限が強く、帝国(ライヒ)の課税権は関税消費税などの間接税に限られており、所得税のような直接税は領邦の権限とされていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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