ヴァイオリン
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近年になって、音響を電気信号に変えるエレクトリック・アコースティック・ヴァイオリンや、弦の振動を直接電気信号に変えるエレクトリック・ヴァイオリンも登場している。

当初は半円形であったが、徐々に変化していき、18世紀末に現在のような逆反りの形状になった。このスタイルを確立したのは、18世紀フランスのフランソワ・トゥルテ(英語版)(トルテ、タートとも)であるといわれる。スティックの材料に初めてペルナンブコを使用したのもトゥルテであり、以後スティックの材料はペルナンブコをもって最上のものとするようになった[19]。トゥルテは宝石時計職人でもあったことから、その加工技術を弓作りに応用し、螺鈿細工などの美しい装飾を施した。トゥルテや一時代下ったドミニク・ペカット(英語版)らの作品は、オールドフレンチボウとして今なお高い評価を受けている。
ヴァイオリン音楽の形成

登場以来ヴァイオリンは、舞踏の伴奏など庶民には早くから親しまれていたが、芸術音楽においてはリュートヴィオラ・ダ・ガンバに比べて華美な音質が敬遠され、当初はあまり使用されなかった。しかし、制作技術の発達や音楽の嗜好の変化によって次第に合奏に用いられるようになる。

17世紀には教会ソナタや室内ソナタの演奏に使われた。ソナタはマリーニヴィターリ等の手によって発展し、コレッリのソナタ集(1700年、「ラ・フォリア」もその一部)がその集大成となった。ヴィヴァルディとされる絵
F. M. La Cave作(1723年)

少し遅れて、コレッリ等によって優れた合奏協奏曲が生み出されたが、トレッリの合奏協奏曲集(1709年)で独奏協奏曲の方向性が示され、ヴィヴァルディによる「調和の霊感」(1712年)等の作品群で一形式を作り上げた。ヴィヴァルディの手法はJ.S.バッハヘンデルテレマン等にも影響を与えた。一方で協奏曲が持つ演奏家兼作曲家による名人芸の追求としての性格はロカテッリタルティーニプニャーニ等によって受け継がれ、技巧色を強めていった。また、ルクレールはこれらの流れとフランス宮廷音楽を融合させ、フランス音楽の基礎を築いた。

18世紀後半にはマンハイム楽派が多くの合奏曲を生み出す中でヴァイオリンを中心としたオーケストラ作りを行った。そしてハイドンモーツァルトベートーヴェンシューベルト等のウィーン古典派によって、室内楽管弦楽におけるヴァイオリンの位置は決定的なものとなった。また、トゥルテによる弓の改良は、より多彩な表現を可能にし、ヴィオッティとその弟子クロイツェルバイヨロードによって近代奏法が確立されていった。

19世紀になると、現在でも技巧的な面では非常に難しいとされるパガニーニによる作品の登場によって、名人芸的技巧(ヴィルトゥオーソ)がヴァイオリン曲の中心的要素とされ、高度な演奏技術を見せつける曲が多く作られた[20]

19世紀中頃からは、演奏家と作曲家の分離の傾向が強く見られるようになった。当時の名演奏家に曲が捧げられたり、あるいは協力して作曲したりすることが多く、例えばメンデルスゾーンダーフィトブラームスヨアヒムといった演奏家の助言を得て協奏曲を作っている。また、チャイコフスキードヴォルザークグリーグ等によって民族的要素と技巧的要素の結合が図られ、シベリウスハチャトゥリアンカバレフスキー等に引き継がれている。

ヴァイオリンは各地の民族音楽にも使われており、特に東ヨーロッパアイルランドアメリカ合衆国のものが有名である。詳しくはフィドルの項を参照。
日本におけるヴァイオリン明治時代のバイオリン演奏。楊洲周延「欧州管絃楽合奏之図」(1889年)


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