ヴァイオリン
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この弓毛に松脂を塗ってしばらく弾くと、弓毛と弦に粉末がなじんで適度な摩擦が生じ、音色が安定する。弓毛には演奏時のみ張力を与え、使用しない時は弛めておく。

スティックの材料はブラジルボクの心材であるペルナンブコ(フェルナンブコ)が最良とされる[12]。しかしブラジルボクは乱獲のため急速に個体数が減っており絶滅が危惧されている。ブラジル内外で植林活動が始まっているものの、成長には200 年を要する。2007年6月にハーグで開かれたワシントン条約締約国会議において、ブラジルボクは同条約附属書IIに記載され、輸出入が困難になった[13]

20世紀半ばからは代替材料の開発が盛んになり、ペルナンブコと同じブラジル産の熱帯雨林材であるマサランデュバなどが用いられる他、カーボンファイバーグラスファイバーなどの人造繊維を用いた繊維強化プラスチック (FRP) の弓も作られている。中でもカーボン製の弓は弾力性、剛性、湿気への強さなどに優れ、ペルナンブコ製の弓よりも数値的性能が高いものもある[14]
分数楽器

ヴァイオリンは、奏者の体格に対して楽器が小さすぎると指板の運びが窮屈となり、また大きすぎると弓運びが困難となる。通常の大きさ(4/4、フルサイズ)の他に、子供向けの小さなヴァイオリンも作られており、3/4、1/2、1/4、1/8、1/10、1/16、1/32 などが一般的である。これらを分数楽器と呼び、スズキ・メソードなど弦楽器の早期教育で用いられ、分数楽器に合わせた弓や弦、駒も市販されている。ヴァイオリンの重量から前屈みの演奏になってしまうため美しくないとされる(若干前屈となるのはヴィオラの奏法である)。男女とも体格の完成する中学生前後でフルサイズに移行する者が多いが、大人であっても体格や重量などから3/4を選択したり、フルサイズより僅かに小さい7/8といった希少寸法の分数楽器を用いるケースもあり、体格に見合ったヴァイオリン・弓を使うことが重要とされる。

分数楽器の数字は通常、大人用(4/4サイズ)に対する胴部の容積の比率を表していると説明される。しかし実際には、現在作られているヴァイオリンの殆どが、フルサイズ=胴体の長さ14 インチ、3/4=同13 インチ、1/2=同12 インチといった等差的な寸法になっている。特に1/8 以下の楽器はメーカーによってもかなり寸法が異なるため、体格に合わせた楽器選びが重要となる。
歴史
ヴァイオリンの変遷
本体「リュート奏者」
カラヴァッジオ作(1595年頃)
右下にヴァイオリンと思しき楽器が描かれている

ヴァイオリンの起源は、中東を中心にイスラム圏で広く使用された擦弦楽器であるラバーブにあると考えられている。ラバーブは中世中期にヨーロッパに伝えられ、レベックと呼ばれるようになった。やがてレベックは立てて弾くタイプのものと抱えて弾くタイプのものに分かれ、立てて弾くタイプのものはヴィオラ・ダ・ガンバからヴィオラ・ダ・ガンバ属に、抱えて弾くタイプのものはヴァイオリン属へと進化していった[15]

世にヴァイオリンが登場したのは16世紀初頭と考えられている。現存する最古の楽器は16世紀後半のものだが、それ以前にも北イタリアをはじめヨーロッパ各地の絵画や文献にヴァイオリンが描写されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿にもヴァイオリンに似た楽器の設計図が見られる。現存楽器の最初期の制作者としてはブレシアガスパーロ・ディ・ベルトロッティ(通称ガスパーロ・ダ・サロ)、クレモナアンドレア・アマティ、ガスパール・ティーフェンブルッカーが有名である。

17世紀から18世紀にかけて、イタリア北部のクレモナにおいてニコロ・アマティストラディバリ一族、グァルネリ一族など著名な制作者が続出した。特に卓越していたのがアントニオ・ストラディヴァリバルトロメオ・ジュゼッペ・グァルネリ・デル・ジェスである。また、現在のオーストリアのインスブルック近郊のアブサムで活動したヤコブ・シュタイナーの作品も18世紀末までは最高級のヴァイオリンの一つとして取引された。[16]ヤコブ・シュタイナー作のヴァイオリン

後に演奏される曲の音域が増加するのに伴い指板が延長されるようになり、音量の増強に対応するためネックが後ろに反り、駒がより高くなった。本体内部も、弦の張力の増大に対応すべく、バスバーを長さ、高さとも大型のものに交換、ネック取り付け部も強化されている[17]。18世紀以前に作られた楽器も現状はそのように改造されているものが多い。古い様式のヴァイオリンは現在では「バロック・ヴァイオリン」といい、新しいヴァイオリンでもバロック仕様で作られたものはバロック・ヴァイオリンと呼ぶ。

これとは別に、特にイタリア製において、著名な制作者が作ったヴァイオリンを、制作時期によって「オールド(1700年代後期まで)」「モダン(1800年位から1950年位まで)」「コンテンポラリー(1950年位以降)」と分類して呼ぶこともある[18]

近年になって、音響を電気信号に変えるエレクトリック・アコースティック・ヴァイオリンや、弦の振動を直接電気信号に変えるエレクトリック・ヴァイオリンも登場している。

当初は半円形であったが、徐々に変化していき、18世紀末に現在のような逆反りの形状になった。このスタイルを確立したのは、18世紀フランスのフランソワ・トゥルテ(英語版)(トルテ、タートとも)であるといわれる。スティックの材料に初めてペルナンブコを使用したのもトゥルテであり、以後スティックの材料はペルナンブコをもって最上のものとするようになった[19]。トゥルテは宝石時計職人でもあったことから、その加工技術を弓作りに応用し、螺鈿細工などの美しい装飾を施した。トゥルテや一時代下ったドミニク・ペカット(英語版)らの作品は、オールドフレンチボウとして今なお高い評価を受けている。
ヴァイオリン音楽の形成

登場以来ヴァイオリンは、舞踏の伴奏など庶民には早くから親しまれていたが、芸術音楽においてはリュートヴィオラ・ダ・ガンバに比べて華美な音質が敬遠され、当初はあまり使用されなかった。しかし、制作技術の発達や音楽の嗜好の変化によって次第に合奏に用いられるようになる。

17世紀には教会ソナタや室内ソナタの演奏に使われた。ソナタはマリーニヴィターリ等の手によって発展し、コレッリのソナタ集(1700年、「ラ・フォリア」もその一部)がその集大成となった。ヴィヴァルディとされる絵
F. M. La Cave作(1723年)

少し遅れて、コレッリ等によって優れた合奏協奏曲が生み出されたが、トレッリの合奏協奏曲集(1709年)で独奏協奏曲の方向性が示され、ヴィヴァルディによる「調和の霊感」(1712年)等の作品群で一形式を作り上げた。ヴィヴァルディの手法はJ.S.バッハヘンデルテレマン等にも影響を与えた。一方で協奏曲が持つ演奏家兼作曲家による名人芸の追求としての性格はロカテッリタルティーニプニャーニ等によって受け継がれ、技巧色を強めていった。また、ルクレールはこれらの流れとフランス宮廷音楽を融合させ、フランス音楽の基礎を築いた。

18世紀後半にはマンハイム楽派が多くの合奏曲を生み出す中でヴァイオリンを中心としたオーケストラ作りを行った。そしてハイドンモーツァルトベートーヴェンシューベルト等のウィーン古典派によって、室内楽管弦楽におけるヴァイオリンの位置は決定的なものとなった。


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