ワシントンD.C.
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周辺のメリーランド州やバージニア州の一部を含むワシントン首都圏は、2010年の国勢調査で約558万人の居住者を抱える[2]ボルチモア及びその近郊も併せたワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏は、2010年の国勢調査では850万人を超える居住者人口を抱えている[2]

以下にワシントンD.C.における1800年から2010年までの人口推移を表およびグラフで示す[73]

統計人口増減率
18008,144-
181015,47190.0%
182023,33650.8%
183030,26129.7%
184033,74511.5%
185051,68753.2%
186075,08045.3%
1870131,70075.4%
1880177,62434.9%
1890230,39229.7%
1900278,71821.0%
1910331,06918.8%
1920437,57132.2%
1930486,86911.3%
1940663,09136.2%
1950802,17821.0%
1960763,956?4.8%
1970756,510?1.0%
1980638,333?15.6%
1990606,900?4.9%
2000572,059?5.7%
2010601,7235.2%

人口構成「友情の門」。チャイナタウンの中心にある。

2010年における人口の割合は、50.7%がアフリカ系アメリカ人(黒人)、38.5%がコーカサス系(白人)、9.1%がヒスパニック(人種は様々)、4.4%がその他(インディアン、アラスカ先住民、ハワイ先住民、南洋諸島先住民など)、3.5%がアジア系、2.9%が混血である[2]。黒人はワシントンD.C.で最も多くを占めるものの、郊外へ去る者が多いため、その人口は一貫して減少傾向にある。同時に、ワシントンD.C.で昔から黒人の居住地域だった多くの場所が高級住宅化していることもあり、白人の人口は一貫して増加傾向にある[74]。このことは、2000年と比べて、アフリカ系アメリカ人の人口が6.2%減少し、反対にコーカサス系は13.8%増加していることに表れている[75]。移民の主な出身地としては、エルサルバドルベトナムエチオピアなどがあり、エルサルバドル人はマウント・プレザント近辺に集まっている[76]

2000年の国勢調査によって、ワシントンD.C.の成人のうち推計3万3000人が自らをゲイレズビアンまたはバイセクシュアルだと考えていることが明らかになった。これは市の成人人口の8.1%に当たる[77]。このようにLGBTの人口は相当大きく、また政治的風土もリベラルだが、連邦議会における反対論も原因して、同性結婚はワシントンD.C.の法律では認められていない[78]。しかし、家庭内パートナーシップ法 (Domestic partnership law) によって、同性のカップルも、他の法域で認められているシビル・ユニオンと似た法的取り扱いを受けることができる[78]

2007年の報告によって、ワシントンD.C.の居住者の3分の1が機能的非識字(仕事や日常生活上の読み書き能力が不十分な状態)であることが分かった(全国における割合は5分の1)。英語に習熟していない移民もその一つの原因であると考えられている[79]。2005年に行われた研究では、ワシントンD.C.の5歳以上の居住者のうち85.16%が家で英語のみを使用しており、8.78%がスペイン語を使用していることが分かった。フランス語がそれに次いで1.35%である[80]。機能的文盲率の高さとは対照的に、ワシントンD.C.の居住者のうち45%が少なくとも4年制大学の学位を持っており、国内で4番目に高い割合である[81]

また、2000年のデータによると、半数以上の居住者が自分をキリスト教徒だと考えている。28%がカトリック、6.8%が南部バプテスト連盟、1.3%が正教会(ギリシャ正教)又は東方諸教会、21.8%が他のプロテスタント教派である。イスラム教徒は人口の10.6%、ユダヤ教徒は4.5%、26.8%は無宗教である[82]
インディアン部族

この地に先住したインディアン部族はコノイ族、デラウェア族、ナンチコーク族、ポウハタン族ショーニー族、サスケハンナ族など。そのことごとくがアメリカ政府に虐殺され、19世紀には他州へと強制移住させられた。この地に残ったインディアン部族はすべて「絶滅部族」とみなされ、保留地 (Reservation) を没収されていて、部族単位では存在しないことになっている。

1944年にワシントンD.C.に結成された「アメリカインディアン国民会議 (National Congress of American Indians)」は、インディアン寄宿学校で白人同化教育を受けた、全米のインディアンたちによる初の本格的なロビー運動組織である。彼らは「大声でほえまくる赤い番犬」と呼ばれたが、活動自体は保守的で、AIM などとは違い、若い世代からは「白人寄り」と批判された。

2004年には、この地に全米のインディアン部族の文化展示を目的とした「国立アメリカ・インディアン博物館」が開設された。

≪アメリカ連邦政府に公認要求中のインディアン部族≫

チェロキー・タスカローラ族・亀の島国家」
※「亀の島」はインディアンが北米大陸を指す呼び名
インディアン・カジノ

現在のところ、ワシントンD.C.でインディアン部族が運営する「インディアン・カジノ」は一軒もない。同地ではインディアン部族は存在しないことになっており、今後も開設される望みは薄い。
治安ワシントンD.C.における殺人発生件数の推移(1986-2005年)

1990年代初頭に凶悪犯罪の波が訪れた時、ワシントンD.C.はアメリカの「殺人首都」 (murder capital) として知られ、殺人事件の発生数において、ルイジアナ州ニューオーリンズとしばしば肩を並べていた[83]。謀殺(計画的殺人)の発生件数は1991年に482件だったが、1990年代を通じて犯罪の激しさは大幅に緩和した。2006年までに、市内における謀殺の件数は169件にまで減少した[84]。窃盗や強盗など各種の財産犯も、同様の割合で減少した[85]。また、2012年は殺人件数が88件と減少し1961年以来最低の値であった[86][87][88]。そして、2019年は2012年の約1.9倍の166件であった[89]。人口比で見ると2019年は、23.5件(全米平均:5.0件)と全米平均より高く、州別で見るとワースト1である[89]

また、殺人事件被害者の8割前後が黒人男性であり、凶器も約8割が銃器を使用している[90]ワシントンD.C.における殺人事件発生地点の分布(2004-2008年)。NE(北東)とSE(南東)に圧倒的に多いことが分かる。

多くの大都市と同様、犯罪の発生率が高いのは違法薬物やギャングと関係のある地域である。より富裕な地域のワシントンD.C.北西地区(高級住宅街のジョージタウンなど)では犯罪発生率は低いが、東に行くに従って増加する。コロンビア・ハイツやローガン・サークルのように、一時は凶悪犯罪がはびこったものの、ジェントリフィケーション(高級住宅化)の影響を受けて安全と活気を取り戻しつつある地域も多い。その結果、ワシントンD.C.における犯罪は、さらに東方、メリーランド州プリンスジョージ郡との境界を越えるところまで追い払われつつある[91]

特に危険なのは市南東部のアナコスティア地区 (Anacostia) である。ワシントンD.C.で起こる殺人の約3分の1はこのアナコスティア地区内で発生している[92]1950年代までは白人の中流階級の住宅地だったが、州間高速道路の発達により人口が郊外へ流出、住民層が大きく変わり、治安が著しく悪化した。現在、この地区の黒人人口率は92%に達する。また、市の北東部も治安の悪い地域である(右図参照)。市境を越え、メリーランド州側にも治安の良くないエリアが広がっている。

2008年6月26日、連邦最高裁判所は、ワシントンD.C.対ヘラー事件において、ワシントンD.C.が1976年に行った拳銃の所持禁止は、アメリカ合衆国憲法修正第2条で定められた銃所持の権利を侵すものだと判示した[93]。もっとも、この判決は、どのような形での銃規制も一律に禁止するものではない。銃器の登録制を定める法律は依然有効で、ワシントンD.C.による殺傷能力の高い攻撃用武器の禁止も有効である[94]


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