ワシントンD.C.
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2010年度国勢調査による人口は601,723人[2]で全米24位だが、労働時間帯には近郊からの通勤者により人口100万を超える。ワシントンD.C.を中心に、メリーランド州、バージニア州北部、ウェストバージニア州の最東部2郡を併せた地域を一般に「首都圏」または「メトロポリタン」と呼んでいるが、その人口は5,582,170人(2010年国勢調査)[2]で、全米7位である。また、北東に約65キロメートルの地には人口620,961人(2010年国勢調査)を抱えるメリーランド州の最大都市ボルチモア[2]が位置している。このボルチモアといわゆる首都圏を併せたワシントン・ボルチモア・北バージニア広域都市圏[注 2]の人口は8,572,971人(2010年国勢調査)[2]を数え、全米4位の規模である。

アメリカ合衆国憲法第1条により、各州とは別に、恒久的な首都としての役割を果たすため、連邦の管轄する区域が与えられている。アメリカ合衆国三権機関(大統領官邸(「ホワイトハウス」)、連邦議会議会議事堂)、連邦最高裁判所)が所在し連邦機関が集まる他、多くの国の記念建造物や博物館(スミソニアン博物館など)も置かれている。

中心部には高さ169メートル(約555フィート)のワシントン記念塔がある。

同市のナショナル・モールにおける博物館群は質・量ともに世界でもトップクラスであり、観光資源にもなっている。ポトマック川の入り江であるタイダルベイスンの畔にあるの木々は、アメリカ合衆国内で有数の桜の花見の名所となっており、毎年全米桜祭りが開催される。

172か国の大使館に加え、世界銀行国際通貨基金 (IMF)、米州機構 (OAS)、米州開発銀行、汎アメリカ保健機関 (PAHO) の本部も置かれている。労働組合ロビイスト、職業組合など各種団体の本部もある。

連邦議会がワシントンD.C.における権限を有している。連邦議会に関してワシントンD.C.は、下院に本会議での投票権を持たない市代表(代議員)を選出しているものの、上院議員の議席は与えられていない。ワシントンD.C.が州であると仮定し他の州と比較すれば、面積ではロードアイランド州に後れて最下位、人口では最下位から2番目(最下位はワイオミング州)であるが、人口密度では1位、州民総生産では35位、また黒人の比率では1位であり、国全体のマジョリティ(非ヒスパニック系白人)とマイノリティとは反転している。

2011年現在、ワシントンD.C.においては死刑制度が廃止されている。アメリカのシンクタンク2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界17位の都市と評価されており、アメリカの都市ではニューヨークロサンゼルスシカゴサンフランシスコに次ぐ5位である[3]
名称

法律上の正式名称は「コロンビア特別区」(コロンビアとくべつく、District of Columbia)。州に属していないアメリカ合衆国・連邦政府直轄地。

コロンビア特別領 (territory of Columbia) として1790年に創設され、1801年のコロンビア特別区自治法(旧)により地方自治権を持つコロンビア特別区となった。特別区内には自治権を持つ市や郡があり、その一つが首都たるワシントン市だった。しかし1871年のコロンビア特別区自治法(新)により特別区内の全ての自治体は特別区に統合された。

この歴史的な経緯から、かつての呼び名である「Washington, District of Columbia」 がしばしば使われる。ただしこれは「コロンビア特別区のワシントン市」という意味の語句であり、かつての正式名称というわけではない。またそれゆえ、これを和訳する場合は(語順どおりにワシントン・コロンビア特別区ともするが)直訳はコロンビア特別区ワシントンとなる。

略してワシントンD.C.と呼び、米国ではWashington、The District、または単にD.C.とも通称する。日本語では首都ワシントンまたはワシントンと呼ぶことも多い。

"D.C." は "District of Columbia"(コロンビア特別区)の頭文字で、南アメリカコロンビア共和国と同様にクリストファー・コロンブスに因む名である[4]。日本語ではワシントンD.C.を単に「ワシントン」と呼び、(ワシントンD.C.と識別するため)ワシントン州を「ワシントン州」と呼ぶことが多い。
歴史詳細は「ワシントンD.C.の歴史」を参照ワシントン記念塔(手前)とホワイトハウス(奥)

アメリカ合衆国憲法第1条第8節第17項によって、連邦議会にアメリカ合衆国の首都を設立する権限が与えられた。同条によれば、「ある州が譲渡し、連邦議会が受諾することにより、合衆国政府の所在地としての地区(ただし10マイル四方を超えてはならない)」が認められた[5]ジェームズ・マディソンは、1788年1月23日の『ザ・フェデラリスト』第43篇で、合衆国の首都は、その持続と安全のため、各州からは別個のものとすべきだとして、連邦の管轄する区域の必要性を説明した[6]1783年には、フィラデルフィアに置かれていた連邦議会に対し、兵士らの暴動により攻撃が加えられたことも、合衆国政府が安全に配慮する必要性があることを強調することとなった[7]

憲法は新たな首都の場所を特定していなかったが、マディソン、トーマス・ジェファーソン及びアレクサンダー・ハミルトンの3人は、1790年、首都を南部に置くことを条件に、合衆国が州の発行した戦時負債を肩代わりするとの合意に達した(後に1790年協定として知られる)[注 3]ピエール・シャルル・ランファンによるワシントン市の計画図

1790年7月16日、首都立地法により、新しい恒久的な首都がポトマック川河畔に置かれることになり、詳細はジョージ・ワシントン大統領により選定されることとなった[8]。当初の形は、合衆国憲法により認められていた通り、一辺が10マイル (16 km) のダイヤモンド型で、100平方マイル (260 km2) であった。新首都建設のためメリーランド州バージニア州が領土の一部を割譲し、新しい「連邦の市」はそのうちポトマック川の北岸に建設されることとなった。もっとも、同じ100平方マイルの地区内にはすでに2つの独立した自治体(1749年に設立されたアレクサンドリア市[9]と、1751年に設立されたジョージタウン[10])があった。1791年9月9日、この連邦の市はジョージ・ワシントンに敬意を表してワシントン市と命名され、この100平方マイルの地区全体はコロンビア区 (Territory of Columbia) と名付けられた[注 4](コロンビアは、当時合衆国を指す詩的な名称として使われていた言葉である)。連邦議会は、1800年11月17日、ワシントンで最初の議会を開催した[11]

1801年のコロンビア特別区基本法 (The Organic Act) により、正式にコロンビア特別区が編制され、アレクサンドリア市、ジョージタウン市、ワシントン市を含む連邦の管轄地域全体が、連邦議会の排他的支配下に置かれた[12]。さらに、特別区内で自治体に組み込まれていない領域は、二つの郡 (county) に組織された。すなわち、ポトマック川北岸のワシントン郡と南岸のアレクサンドリア郡である。同法制定後は、特別区内の市民はメリーランド州やバージニア州の住民ではなくなり、議会の代表権もなくなることとなった[13]19世紀のフォード劇場


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