ワサビ
[Wikipedia|▼Menu]
地下にある根茎は太い円柱状もしくは円錐形で横筋があり、細を出す[17][12][16]。野生のワサビは、栽培ワサビよりも根茎が細い[16]根生葉は根茎の頂部から束になって生え、長さ10 - 20センチメートル (cm) の長い葉柄があり、葉身は径5 - 13 cmの大型で円形に近い心形で光沢があり、葉縁に不揃いな鋸歯と波状の凹凸がある[17][12][11]。茎につく葉もほぼ円形で、光沢がある[18]

花期は春(3 - 5月)[11]。根茎の頂から長さ20 - 30 cmくらいの地上が直立し、柄の短い小型の葉を互生して、茎頂や上部の葉腋に、白色の十字型で花径3ミリメートル (mm) ほどの小さな4弁花を総状につける[17][16][11]。花は上から順に数個から十数個が開く[16]

ワサビ田(長野県 9月)

ワサビの

自生ワサビ

自生ワサビの花

産地安曇野 大王わさび農場(2008年5月12日撮影)

日本の主要な産地は静岡県、長野県、東京都(奥多摩)、島根県山梨県岩手県奈良県などである。また、ワサビの産地である伊豆市や安曇野市では市の花に指定されている。

日本国外では台湾南部、ニュージーランド中国雲南省韓国江原特別自治道鉄原郡[19]などでも栽培されている。

イギリスでは、クレソンを栽培している会社が2010年にワサビ栽培を提案されて、南部のドーセット州で試行錯誤を経て成功させ、2012年に欧州の料理店向けに販売を開始した[10]。汲み上げた地下水で日本と同様の栽培環境を再現している[10]。欧州で初めての商業ベースのワサビ栽培の事例となった。価格は100グラム30ポンド(2012年時点で約4200円)[20]。欧州では、日本産ワサビにこだわり採用を渋ったシェフもいたが、鮮度を評価して購入する料理店や個人もおり、ウオッカマヨネーズなど加工品の製造にも展開している[10]
栽培

江戸時代から栽培が本格化した[7]。江戸時代初期、静岡県有東木において、当地に自生していたワサビを圃場へ移植し、栽培を試みたのが最初とされている。寿司の流行により急激に広まったと言われている[12]

冷涼なところを好む性質で、栽培方法を大別すると、水栽培で渓流や湧水で育てられる通称水ワサビ(谷ワサビ、沢ワサビ)と、畑栽培で育てられる通称畑ワサビ(陸ワサビ)がある[17]。水栽培は、山間部の北斜面で、水が濁らない湧水地がよいとされる[17]。また、畑栽培は落葉樹下の夏は日陰で、冬は日が当たる場所が選ばれる[17]。増殖は、種子のまま砂に埋めておいて秋に播く[17]。春にが揃ったら定植する[17]
歴史

深山幽谷の清冽な渓流に沿い自生していたものが、その利便から人里近辺の清流栽培へと根分けされて広がり、日本の食文化に合う国内需要により農業生産されるに至る。

飛鳥時代の遺跡である飛鳥京跡苑池遺構(現・奈良県明日香村)から出土した木簡に「委佐俾三升(わさびさんしょう)」と書かれていた、これがワサビについて記された最古の史料とされる[21]

718年奈良時代)に出された賦役令(現代の法人税法施行令に相当)の中に「山葵」(わさび)の名前が見られる。土地の名産品として、既に納付され、薬用として使用されていたと考えられる。

1221年7月(鎌倉時代)、後堀河天皇の即位に際して、丹波国よりワサビが献上される。

室町時代、既に現代と同じ薬味としての利用が確立されていた。

江戸時代、有東木(うとうぎ、現・静岡市葵区)のワサビは駿府城大御所政治を執っていた徳川家康に献じられ[22]、その味が絶賛された。これに加えて、ワサビの葉が徳川家家紋の「葵」に通じることから、江戸幕府の庇護を受けることとなった。一方で門外不出の扱いとなり、その栽培技術を他地区に広げることは禁じられた。寿司、蕎麦の普及につれて、広く一般に普及・浸透していった[23]。古くは自生のものを採取・利用していたが、江戸時代に有東木地区に住む村人が野生のワサビを栽培したのが、栽培普及の端緒と伝えられる。

延享元年(1744年)、天城湯ヶ島(現・静岡県伊豆市)で山守を務めていた板垣勘四郎は、三島代官の命によりシイタケ栽培の技術指導で有東木を訪れた。板垣はワサビの栽培を天城でも行いたいと懇願し、有東木の住民はシイタケの礼から禁を犯して板垣にワサビの苗を持たせた。この後、板垣の努力で天城でも栽培が始められることになる[24]

1892年頃、原保村(現・伊豆市)の平井熊太郎が畳石式栽培を開発した[25]

1900年代初め(明治の終わり頃)、丹那盆地および周囲の山々に、清水が湧き出すワサビ沢が7か所あったが、後に真下を丹那トンネルが開通して姿を消した[26]。1918年着工、1934年開通の丹那トンネルは工事中に大量の出水があり、トンネルの真上に当たる丹那盆地は、地下水が抜け、湧き水が失われた。

1958年頃までの日本で栽培されていた品種は、中伊豆町の農家が発見して育成した品種「だるま」が多かったが、1958年の狩野川台風により中伊豆町のわさび田が壊滅。この台風被害からの復興の際に育種苗が不足したことや高品質な味と形を求められたことなどから、和歌山県産「真妻」(マズマ)種に置き換わっていった[27]。また、栽培が盛んな県の農業試験場では、地域毎の栽培特性に合わせた独自品種を開発して県内農家向けに種苗を供給している[28][29][30]

2002年から2004年にかけて日本で「火災時における臭い警報システムに関する研究」が行われ、この研究をもとにワサビの臭いを用いた聴覚障害者向け火災報知器が商品化された[31]。この商品開発に関わる研究は、2011年にイグノーベル賞(化学賞)を受賞した。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:123 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef