ローランの歌
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例えば、歴史上では戦う相手がバスク人ガスコーニュ[7]であったのに対し、の中ではイスラム教徒に変えられている。その他にも多くの点で恣意的に歴史とは違えられたところがあるとされる。ただしイスラム勢力である後ウマイヤ朝との争いは史実で、『ローランの歌』でもアブド・アッラフマーン1世の戦闘の勝利を賞賛している部分がある[7]

これは、11世紀という十字軍の時代にイスラム教徒に対抗するキリスト教徒を勇気づける役割をこのが担っていたからであり、歴史的事実とは異なるとはいえ、中世騎士道精神を示す典型的な例になっていると考えられている[1]

11世紀後半までには、現代のローランの歌は出来上がっていた。しかし伝説によってふくらまされた部分が大きくなって、歴史的な考察は殆ど姿を消していた。例えばこの戦いの時点でシャルルマーニュは36歳であるが、歌の中では白髭を垂らし、終わりなき戦いに長けた人物とされている[2]

シャルルマーニュの伝記作者であるアインハルトはシャルルマーニュの同時代の人物で、伝記作者のみならず、顧問役としてシャルルマーニュの王子のルイ1世につかえた人物である。アインハルトは、スペイン遠征からフランスへの帰国の途に就いたシャルルマーニュ軍の後衛が、軽装備で有利な地点から襲ったバスク人のために殲滅の悲劇にあったことを伝え、戦死した将の一人としてブリタニア辺境伯(Brittannici limitis praefectus)フルオドランド(Hruodland)の名を挙げている[8]。史実では、そもそもシャルルマーニュがイベリア半島に赴いたのも後ウマイヤ朝に抵抗するムスリム勢力への加勢であり[9]、サラゴサを包囲はしても攻略することなく退却している。アインハルトの著作には、ロンスヴォー峠という名前ではなく、ただピレネー山脈の峠とのみ書かれている。さらに歴史的には、十二人の勇将の名も、当然ガヌロンの名前も確認されていない[2]

フランク王国年代記(Annales regni Francorum)にも、シャルルマーニュの後衛部隊の虐殺や、ロンスヴォーという記述はなく、歌には登場するマルシル、バリガンという名前も出て来ない。改訂版[10]には、バスクのゲリラ軍が、シャルルマーニュの後衛軍ではなく、全軍と戦ったという記述がみられる[7]

また、十二勇士は、常に同じ12名ではなく、いくつかの伝説によれば、シャルルマーニュの親友にして、最も信頼できる戦士であった。彼らのことをパラダンもしくはパラディン(Paladin)と呼ぶが、この名称はパラティーヌ(宮中伯)と同義で、イタリア語のパラティーノからの借用例であると思われる[11]
映画

1978年に、クラウス・キンスキー主演で映画化されている[12]
文献・派生文学作品
原語(
古フランス語


“La Chanson de Roland”. Bibliotheca Augustana. 2019年1月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月1日閲覧。

英訳


“The Song of Roland”. Internet History Sourcebooks Project. フォーダム大学 (1998年). 2019年10月1日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2019年10月1日閲覧。

邦訳


『 ⇒ロランの歌有永弘人訳、、岩波書店岩波文庫 赤501-1〉、1961年1月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-00-325011-7。 ⇒http://www.iwanami.co.jp/cgi-bin/isearch?isbn=ISBN4-00-325011-7。 

『 ⇒ローランの歌佐藤輝夫訳、、筑摩書房ちくま文庫〉、1986年10月。ISBN 4-480-02076-4。 ⇒http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480020765/。 元版は筑摩書房「世界文学全集」ほか

『 ⇒ロランの歌神沢栄三訳、、白水社〈フランス中世文学集1〉、1990年12月。ISBN 4-560-04600-X。 ⇒http://www.hakusuisha.co.jp/product/isbn=ISBN4-560-04600-X。 

抄訳・編訳著


『 ⇒騎士道』武田秀太郎抄訳、、中央公論新社〈単行本〉、2020年1月。


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