ローマ市内にはキリスト教の聖地のひとつであるバチカン市国があり、毎年多くの観光客や巡礼者が訪れる。特にサン・ピエトロ広場は大規模なイベント時にも多くの信者を収容できるよう、最大で約30万人が一度に入れる敷地を持っている[30]。 ローマは、北イタリアの諸都市に比べると意外なほどオペラは盛んではなく、ローマ歌劇場は2014年にいったん全従業員解雇が発表されたことがある(その後労使の妥協により撤回)。むしろイタリアには数少ないコンサートオーケストラの名門として、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団が特筆すべき存在である。また、イ・ムジチ合奏団も同地が拠点である。 ローマは1960年のローマオリンピック開催地であり、同年には第1回パラリンピックが開催された。また、2009年の世界水泳選手権もローマで開催された。さらに1987年の世界陸上の開催地であり、スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマが会場として使用された。イタリア陸上競技連盟会長のプリモ・ネビオロにより1980年に創設され、2010年以降はIAAFダイヤモンドリーグの1大会に加わった陸上競技会、ゴールデンガラもオリンピコを会場として行われている[31]。ASローマ時代のフランチェスコ・トッティ ローマで圧倒的に人気のあるスポーツはサッカーである。スタディオ・オリンピコでは1990 FIFAワールドカップ決勝戦が行われ、現在はセリエA屈指の強豪ASローマおよびSSラツィオのホームスタジアムとして使用されている。ローマとラツィオ間には猛烈なライバル意識が存在しており、地元民からはローマ・ダービーは「試合以上の存在」と言われている[32]。 また、ローマのみならずイタリアを代表するアスリートとして、フランチェスコ・トッティ、アレッサンドロ・ネスタ、ダニエレ・デ・ロッシ、アレッサンドロ・フロレンツィなどの有名な選手を輩出している。その中でもトッティは、およそ25年間にもわたってASローマ一筋でプレーしたワン・クラブ・マンであり、同クラブの歴代最多得点(316得点)および歴代最多出場(786試合)の記録をもつ。
音楽
スポーツ
国際大会
サッカー詳細は「デルビー・デッラ・カピターレ」を参照
著名な出身者
出身者詳細は「ローマ出身の人物一覧」を参照
ソフィア・ローレン(女優) - ローマ生まれ、ナポリ近郊ポッツオーリ育ち。
居住その他ゆかりある人物
ラウラ・アントネッリ(女優)- 同地で死去。
アルマンド・デュプランティス(陸上選手)- 同地で行われたゴールデンガラの男子棒高跳にて世界記録を樹立した。
脚注[脚注の使い方]^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Total Resident Population on 1st January 2019 by sex and marital status” (英語). 2019年10月6日閲覧。
^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Tavola: Popolazione residente - Roma(dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年11月25日閲覧。
^ 国立統計研究所(ISTAT). “ ⇒Tavola: Superficie territoriale(Kmq) - Roma(dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2013年11月25日閲覧。
^ ⇒Demographia: World Urban Areas & Population Projections
^ ⇒2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
^ 2枚目(PDFのページ表記では1ページ)にある『Chart 1.』の12位。“ ⇒MasterCard Global Destination Cities Index” (PDF). MasterCard. p. 2 (2012年). 2013年2月16日閲覧。 “Rome 7.8mn”
^ 森さやか (2023年7月19日). “ローマで史上最高気温も 地球は過去もっとも暑い2週間
^ a b 青木正規著 皇帝たちの都ローマ ISBN 4-12-101100-7 1992年発行第1版 p162-p164
^ “Popolazione straniera residente nel Comune di Roma al 01/01/2022 per sesso e nazionalita
^ a b 考古学 - MSN エンカルタ 百科事典 ダイジェスト
^ a b ニュートン2003年9月号、pp.30-31、丘の上に数千人の集落を構えていたローマ
^ a b ニュートン2003年9月号、pp.32-33、先端技術を導入し、カピトリーノの丘の上に神殿をつくる
^ ニュートン2003年9月号、pp.34-35、滅亡の危機に追い込まれたローマは、七つの丘を囲う城壁をつくった