ラテン語では海軍または艦隊のことをクラッシス(Classis)と呼んだ。
ローマは農業中心の社会であったので、陸の上のことに関しては強かったのだが、その副作用で海上のことにはかなり疎く、当初海軍の整備はされていなかったようでいつごろに海軍が設置されたかはっきりしないが、それでも紀元前4世紀ごろにはローマ海軍に言及した文章が残されている。
海軍にかかわる当時の海上勢力図を説明しておくと、古代の地中海世界では、地中海東岸の地を本拠地とするフェニキア人が海上交易で地中海で勢力を広げており、アフリカ北岸にいくつも勢力圏を持ち、カルタゴという国までつくり、ローマ人とは露骨なライバル関係、敵対関係にあった。フェニキア人は船造りも得意で、フェニキア人の本拠地の地中海東岸は樹高が高く船造りに適した"レバノン杉"の産地であり頑丈で性能の良い大型船舶を作ることができ、さまざまな意味でフェニキア人の海軍は地中海で「最強」とされていたので、それに比べてローマ海軍は弱く、操船術や練度や船の性能などで劣っていたので、フェニキアの艦隊との海戦では大敗してしまうことが多かった。詳細は「ローマ海軍」を参照
ダキア戦争の際のローマ海軍を描いたレリーフ
ローマ海軍の艦船の再現模型
艦船の再現展示
アクティウムの海戦の様子を描いた油絵(1672年)
関連項目
古代ローマの軍事(en:Military of ancient Rome